この「抑制」については、これは推測ですが、宮脇さんが長らく、編集者という仕事に従事し、しかもスゴ腕の編集者であったこと、自ら書き始めたのが50歳を過ぎてからで、いわば「若書き」が無かったこと、などが関係していると思われます。ちなみに編集者としてどれだけ優れた仕事をしたかというと、中央公論社に在籍して、『中央公論』編集長、『婦人公論』副編集長などを歴任。あの、多くの人々を歴史ファンにした「世界の歴史」シリーズや「日本の歴史」シリーズを刊行したり、それから「中公新書」の発刊も大きな仕事の一つです。どくとるマンボウこと北杜夫を世に送り出したのも、編集者・宮脇俊三の業績です。
どんなに偉い学者でも、専門的過ぎて一般読者にわかりにくい原稿は、遠慮なくどんどん突き返して書き直させたと言いますから、そうした歴戦の日々を送ってきた人がいざ、自らの著作を世に問うとなったら、そこは選び抜かれた平易な言葉で、しかも過不足ない実用情報も含んでの、彫琢された文章、ということになったのでしょう。
知識をひけらかさない、などということは著者にとって最低限の前提で、とにかくどんなに近場の旅でも、何十回と乗りなれた路線でも、「いつも楽しんでいたい」人だったようです。「のんびり、ゆっくり」の旅の楽しみを奪った元凶のように言われもする新幹線に対しても、車窓風景と地図帳との対照の楽しみを述べた後、こんなふうに書きます。
【なお、地図など開いて窓の外をいっしょうけんめいに眺めていると、一般の乗客の目には、はじめて新幹線に乗ってうれしくてたまらないといった人間に見えるらしく、軽侮の横目でこっちを見たりもするが、気にしないことにする。飛行機や新幹線に乗り慣れることをもって自分が偉くなったように錯覚している人が多いようだが、乗り慣れたら旅のたのしみは失われてしまう。】
こんなふうに書く人だからこそ、私のようにまったく鉄道に詳しくない、でも鉄道の旅を楽しみたい、という人間は、一も二もなく、信頼してしまうのです。
「復刊」について言及するのが遅れましたが、『鉄道旅行のたのしみ』というこの本は、小学館版『全線全駅鉄道の旅』(全12巻)と『国鉄全線各駅停車』(全10巻)の連載をまとめて1986年に集英社文庫で出し、それをさらに昨年11月、角川文庫60周年の「宮脇俊三・鉄道文庫フェア」として復刊されたものです。同フェアでは全部で11冊の宮脇本が集結し、新装版なども多々ありますが、純粋に「復刊本」にカウントできるのは『鉄道旅行のたのしみ』のみです。
『鉄道旅行のたのしみ』に収録されたテキストが書かれたのは1980年代前半。つまり、JRがまだ国鉄で、まだ青函連絡船が生きている時代でした。いわば昭和の最後の日々の鉄道の姿が描かれているわけで、今日の状況からすると郷愁を誘うようなところがあります。しかし、東海道、関東、近畿から北海道まで、日本各地の鉄道で旅する場合、それぞれの地域の自然や風物と出合うポイントの解説や時刻表の楽しみ、列車というものを見る時の視点など、今日でもほぼ、その実用性を失っていない本でもあることは保障します。
ガイドブックとして、エッセイとして、あるいは雑学本としても批評としても読めてしまう『鉄道旅行のたのしみ』ですが、筆者が個人的にいちばん唸った箇所を、コンパクトにまとめて連発で引用してみます。