山城新伍は、「若山富三郎組」ですから、片や「おやっさん」、片や「勝さん」なわけです。この本でも記述の7割が若山富三郎、3割が勝新太郎という割合でしょうか。
これはあくまでも深読みなのですが、どうも勝新よりも兄の若山富三郎のほうに、すこーし狂気の含有量が高い気がします。どうやら、山城新伍もそう思っていたフシがあります。そんなことはどこにも書いていませんが。世間的なマスイメージでは、ムチャクチャなのは勝新のほうで、なんといってもマリファナで捕まった時、「パンツの中に入ってたんだ。誰が入れたのかな」という会見をした人ですからね(笑)。しかし上に引用した「帰ってくれるなよ」という願いに関する2人の態度の類似と相違、ここは何気ないようで、怖ろしい記述のようにも読めます。勝新太郎からは帰ってしまうことができたが、若山富三郎からはできなかった。これは、親密度の差であると同時に、絶対に「帰らせない」何かが若山富三郎にはあったのではないでしょうか。山城新伍という人は、そういうことを感じ、それとなく書いてしまう人なのだと思います。
『おこりんぼ』はもちろん、若山富三郎と勝新太郎という、唯一無二の兄弟の役者人生を描いた著作なのですが、山城新伍その人の役者としての矜持も、そこここに散見することができます。例えば、黒澤明監督の名作(と、言われている)『影武者』についてのくだりは、本来主役を務めるはずだった勝新太郎の降板劇や、日本アカデミー賞で各部門独占しながら、黒澤明監督以下役者もスタッフも全員出席を拒否(黒澤“天皇”が行かないんだからノコノコ行くわけにいかないよね。ああ、くだらない)したことに対し、痛烈に批判しています(その時の司会者が山城新伍であり、監督賞のプレゼンターは鈴木清順でした)。
舞台上での山城新伍の発言。
【このもう一人の年寄りは、日本アカデミー賞なんかいらない、アメリカのアカデミー賞だったら欲しいとおっしゃるのです】
断っておきますが、山城新伍は黒澤映画のファンです。
【ぼくはその発言の結果、「日本アカデミー賞」に司会として呼ばれなくなったことも、あの時黒澤さんを批判したことも、後悔していない。黒澤監督の全作品を観ている黒澤ファンのぼくとしては、黒澤・勝コンビへの期待がふくれあがっていたことから、映画ファンの立場から発言してしまったのかもしれない】
「映画ファンの立場から発言してしまったのかもしれない」と書けるのは、自分が役者であること、映画人であること(自ら監督作もあります)を明確に意識しているからでしょう。このように、映画人・山城新伍の気骨を、垣間見ることができる本でもあるわけです。
東映ニューフェースで入社、テレビ映画『白馬童子』で広く知られて以来、東映時代劇や任侠ものにたっぷり出演してきた山城新伍は、クイズ番組やバラエティ番組には欠かせないタレントでもありました。近年は糖尿病を患い、だいぶ体が弱ってしまったとか、いやずいぶん回復しているとか、奇行が目立つとか、1人淋しく老人ホームに暮らしているとか、口さがないメディアがいろいろと報じてきました。
そうした風説から、傑出した語り部・書き手として山城新伍を奪還しなければなりません。来るべき『山城新伍自伝』の出版を、首を長くして待っている人は少なくないはずだからです。
その際は、お腹いっぱい笑わせてください。そして少しだけ泣かせてください、山城新伍様。