『まなざしの地獄』は、雑誌の初出が1973年、単行本『現代社会の社会意識』(弘文堂)に収録されたのが79年という論考のタイトルで、かつて『まなざしの地獄』という表題の本が出ていたわけではありません。今回出版された『まなざしの地獄』は、論考「まなざしの地獄」と、もう一つ「新しい望郷の歌」という、こちらは65年に発表された別の論考と2つあわせて収められた本の総題ということになります。
『まなざしの地獄』は、1968年から69年にかけて起きた連続射殺事件を一つの発端として書き起こされたテキストです。世間を震撼させたこの事件の犯人N・Nは当時19歳の未成年でした。N・Nとはむろん、永山則夫のことです。しかし見田宗介はテキストでの表記を一貫してN・Nで通しています。そして自ら断っているように、このテキストは「N・N論」ではなく、故郷の青森を忌み嫌って、東京にあふれるばかりの希望を託して上京したN・Nの置かれていた状況、そして当時、N・Nと同じように、「尽きなく存在し」ようとしながら、資本の側から単なる安価な労働力として表面的にチヤホヤされるばかりの若者たち(当時は、今とは比較にならない売り手市場でした)について考察をしたものです。
社会学の本ではありながら、社会学者の視線から逸脱するように見える見田宗介の特異な考察は、たとえば当時の若い労働力に対して言われた「金の卵」という形容に対してこのように書きます。
【「金の卵」であるということは、この卵の持ち主にとっては幸福であるが、その卵自身の内部生命にとってはけっして幸福ではない。卵殻が「金」でできているとき、その卵自身の内部生命は、やがてその成長の過程にあってみずからの殻をくい破ってはばたき出すことを封じられ、その固い物質の鋳型の中で腐敗し、石化してしまうであろう。】
先の引用では「なんかドキドキします」と書きましたが、今度は「ドキッ」としました。「ドキドキ」と「ドキッ」ではずいぶん違います。この箇所は最初から引用するつもりでしたが、実際に書き写してみて、「固い物質の鋳型の中で腐敗し、石化してしまう」のところに気が付きました。先に「鉱物の硬さ」と書いてしまったからです。「金の卵」について考察する見田宗介の筆致は、「腐敗し、石化してしま」った現実を、テキストという別の鉱物として結晶させてみせたのだ、といったら、あまりにレビュワーとしては我田引水に過ぎるでしょうか。
N・Nには、出生や履歴書、顔面のキズなど、忌むべき(と、N・N自身が考える)ポイントがいくつかありました。見田宗介は書きます。
【N・Nは東京拘置所に囚われるずっと以前に、都市の他者たちのまなざしの囚人(とらわれびと)であった。
都市のまなざしとは何か? それは「顔面のキズ」に象徴されるような具象的な総体性にしろ、あるいは「履歴書」に象徴される抽象的な表相性にしろ、いずれにせよある表面性において、ひとりの人間の総体を規定し、予料するまなざしである。N・Nは「顔面のキズ」として、あるいは網走出身者として対他存在する。(中略)そしてN・Nが、たえずみずからを超出してゆく自由な主体性として、<尽きなく存在し>ようとするかぎり、この他者たちのまなざしこそ地獄であった。】
皮肉なことに、N・N自身が、拘置所内で文字どおり囚人=しゅうじんであった時にその状態を「幸福」と書いています。そしてはちきれんばかりの希望をもって青森からやってきたN・Nが数年間暮らした東京で、彼は囚人=とらわれびとであり、それは「地獄」だったと社会学者は書きます。