『精神』(http://laboratoryx.us/mentaljp/index.php)というドキュメンタリー映画が、現在公開されている。東京では、渋谷のシアター・イメージフォーラムにて。順次全国ロードショー上映が続いていく予定だ。本書の著者、想田和弘は、『精神』の監督・撮影・録音・編集・製作すべてを担っている。
想田は、「観察映画」を標榜している異色の監督だ。『精神』は観察映画第二弾。ちなみに、選挙運動の舞台裏を生々しく切り取った観察映画第一弾『選挙』(http://www.laboratoryx.us/campaignjp/)も復活ロードショー中。観察映画とは何か。実際に映画を観るのがいちばんだろうが、著者の言葉を借りれば、以下のようになる。
〈第一に、撮影前にリサーチ・打ち合わせをしない〉
〈第二に、構成表や台本を書かない〉
〈第参に、少人数で撮る。具体的には、僕がカメラマンと録音を兼ね、一人で撮る〉
〈第四に、長回しをする〉
〈第五に、ナレーションやテロップによる説明、音楽を使わない〉
なおかつ、制作費も自分で出すのを原則にしている。
東大新聞編集長時代の燃え尽き症候群、テレビ用のドキュメンタリー番組を撮っていたときの行き詰まり体験と、二度の挫折を知る想田。それを踏まえ、〈自らの先入観や勝手な想像に現実を当てはめていくのではなく、目の前の世界をしっかりと冷静に観察して、その結果を映画にするのだという決意〉を突き詰めていった結果、「観察映画」という手法はできあがった。モザイクをかけず、アメリカでいうリリース・フォーム(撮影許諾の契約書)も取らず、つまり一切の保身を捨てて虚心坦懐に被写体と向き合うことで作られていく映画なのだ。
映画は、岡山にある外来の精神科診療所「こらーる岡山」にカメラが入り、こころの病と伴走している医師や患者たちへのインタビューを、徹底的な長回しで淡々と撮り続けたのが特徴らしい。そもそも精神科内部をモザイクなしで撮影すること自体がタブーとされてきた日本において、そこに斬り込んだだけでなく、病を抱えた人間たちが一般社会にいる人間たちと何ら変わりがないことを描き出したことが画期的だ(※まだ評者は見ていないので、映画の公式サイトや観た人からの情報から推察)。
本書には、そうした新しいジャンルが生まれるまでの経緯、映画『精神』を撮るまで、そして上映されてからの紆余曲折や葛藤、実際の撮影裏話、日本におけるモザイク処理だらけのドキュメンタリー批判など、いわば映画のメイキングであり、サイドストーリーが記されている。
純粋なノンフィクションとして読めば、「いや、そこでまだ何か悶着があったでしょう」と、書かれていることの裏の裏まで知りたくなり、それがさらりと流されていることに食い足りなさも残るが、現在“ドキュメンタリー”と称して流れているテレビ映像に違和感を持っている人には、また、いまの社会がなぜ精神科を「見えないカーテン」で仕切っているかに疑問を感じている人には、そうだったのかと氷解する部分も多い。
だが、本書のいちばんの魅力は、医師や患者へのインタビューや上映先での観客の反応などから、私たちをはっとさせる言葉が多く拾われていることだ。
たとえば、想田との対談で、「こらーる岡山」の代表、山本昌知医師が語った言葉。
〈例えば、病気の状態、悪循環がどんどん進んでいっているという状況に対しては有効だと思うのですが、しかし回復を含めて本当にその人らしさを取り戻すのには効かなくてね。(略)そのときに、薬だけでなくて、人間が必要なんだと思います。いろんな体験をしたり、いろんな考えを持った人が、その人の周辺にあって出会える、という状況が大事なんだと思います〉
〈何十年も患者さんと接してきて、信頼される、信頼するということがどれだけ大事かということを、患者さんが訴えてくるのですよ。自分を信じられないとか、他者に信じてもらえないということで、しんどい思いをしとる。信じる力をつけるのが、非常に大事だなと。/総合的に見れば、信じてる人を裏切るのはものすごい力がいる。不信な、信じられてない人を裏切るのは簡単なんだけどな。だから、人間は信じあうというのが大事なんではないかと思うわけですよ。それがなかったら、生きるのがしんどいですよ〉
映画出演者でもある今中氏の言葉は特に印象的だ。
〈ほんで、自分は確かに病気をもっとる。ほんなら健常者はカンペキかいうたら、おらんのですよ、そんな人は。僕の目から見たら人間はね、精神障害であれ普通の人であれ、いわゆる全人的に“健”状態の人は、この世の中探しても一人もいないんすよ。一人もいないんすよ!〉
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