私はここで思考実験に入る。またの名を机上の空論ともいう。特攻隊員たちが、親、兄弟、妻、子ども、恋人、ふるさとの人々のために、死ぬのではなく生きて帰る選択をしたとしたらどうだっただろう。そんなこと言ったって一応は「志願」したのだし、ともに死のうと戦友と誓っているし、逃げ出せば家族ともども非国民扱いを受けたし、どうせ最後はアメリカ相手に一億玉砕だと思っていたわけだし……と、そうできなかった理屈はさまざまにある。それでも、すべてをガラガラポンにして生き延びる道を探そうとあがいた形跡が、もっと残っていておかしくないように思う。
何度も言うが、これは歴史を知っている者による「たられば」のたぐいの結果論である。人の死を何らかの基準によって測ろうという気持ちはない。しかし私には、そもそも他人のために命を投げ出すよりも、「自分の命を守る」ために行動することが難しいからだ、と考えざるを得ないのだ。とりわけこの国に生きる(生きていた)人間にとっては、である。
「靖国神社で会おう」といって水盃を交わし、ヨレヨレの飛行機で南の海へ飛び立っていく特攻隊員の姿を描いた映画は多くある。大方は美談仕立てになっている。いかに天皇の戦争責任や軍上層部の無謀無策を告発していようが、避けがたい「死」へ突き進む人間の心情に寄り添えば、そこには一人一人の「生」が鮮明に浮かび上がり、どうしたって感動的になる。「死」に意味が生まれる。人間死ねばゴミになる、ではドラマにならない。
映画を見終わって、観客の多くは「戦争は嫌だね、二度としてはいけないね」と感想を抱くだろうが、仮に自分が同じ状況に立たされたら、自分の大切なもののために「誇りある死」を選ぶのだ、という心情が非常に濃く刷り込まれる。私はそれよりも特攻隊員が戦死したふりをして戦線を離脱、レジスタンスを組織して東條英機首相を暗殺し戦争を終結させる、なんていった戦争活劇があったら見てみたい。しかし、あまりそういう映画やドラマは作られないようだ。おそらくは「リアリティー」の問題だろう。
なぜ、特攻隊員が死ぬのをやめて生き残ることにする話にリアリティーが感じられないのか。そこに私はとても大事な問題があるように思えてならない。ひるがえって、これら映画やドラマの舞台である「戦争」は容易に、ほかのものに読み替えられる。最も戦争という舞台設定と親和性があるのが、現代でいえば「会社」であろう。1980年代後半、バブル経済のただ中にあって、サラリーマンは「企業戦士」と言われ、同時に「過労死(カローシは世界共通語になった)」という壮絶な戦死を遂げる人が現れた。それでも多くのサラリーマンは「志願」して長時間過密労働に突進していった。
それから20年。会社は今、過労死も恐れず最前線で戦ってきた労働者(無論、兵站はなきがごとし)を簡単に放り出して恥じない。2008年暮れから年明けにかけて、いわゆる「派遣切り」に遭ってホームレスになった人たちのために「年越し派遣村」が設けられた。その派遣村村長を務めた湯浅誠さんが、新聞のインタビューで非常に興味深いことを語っている。
<99%といってもいいかもしれませんが、野宿者のみんなが、野宿になったのは自分が悪かったと言うし、私が所属するNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」に相談に来る人たちも、食べて行けなくなったのは自分たちのせいだと(思っている)。現場で対応していると、それはもう痛々しく、やりきれない思いをずうっとしている>(2009年3月5日『しんぶん赤旗』)
本当ならば、「正社員への道もある」と言って安くコキ使ってきた会社や経営者に「ダマしたのか!」と殴りかかってもおかしくないはずだが、湯浅さんたちが歯がゆく思うほど派遣切りの被害者は「怒らない」のである。それどころか「なぜ貯金をしておかないのか」と、サラリーマンや家庭の主婦ら、ほとんど境遇的には変わらない人たちからの超「上から目線」にさらされなければならなかった。
会社は内部留保(貯め込んだ儲け)をたっぷりと持ち、株主への配当も怠らない。しかし、それらを取り崩して働く者を助けようとは一切しない。なぜか? 会社は「国際競争力を維持するため」だと言う。つまり、会社は「戦争」をしているのだ。有事なのだ。常識とか良心、そんなものはくそくらえなのだ。
「欲しがりません、勝つまでは」とは、戦時中の有名なスローガンである。これを守って国民はひもじさに耐えた。しかし、国は常に欲しがっていた。戦線をどんどん拡大し、ほかの国の領土を欲しがった。そのために国民には「ぜいたくは敵だ」と教えた。会社もまた、常に欲しがっている。増収増益は金科玉条、株価の騰落に一喜一憂し、「市場の命令は朕の命令と心得よ」てなものである。そういう熾烈な経済戦争に勝つために、働く者に「欲しがるな」と言っている。