会社は法人税を負けろとうるさいが、社員が加入する社会保険の負担割合が高すぎると文句を言う。それでいて給料を上げたくなくなると、決まって「難局を乗り切るために労使一丸となって……」などと言い始める。戦時中の「一億総火の玉」と同じである。国と国民、会社と社員、それぞれの間にはダブルスタンダード(二重基準、分かりやすく言うと二枚舌)が存在する。そこを目くらましされると、ついつい「お国のために」「会社のために」という被虐趣味が頭をもたげてくるのだろう。
先述した湯浅さんのインタビュー記事はこう続いている。<(ホームレスになった人を)甘やかす必要はないと言っている人も含めて、結局人を頼ってはいけない、がんばっていれば貧困にはならない、と言われてきたし育てられてきたからです。そういう今までの自分の考えと辻つまを合わせようと思ったら、当事者はそう(貧困に陥ったのは自分たちのせいだと)思わざるを得ない。なので、そこはもう一回、一から人をつくり直すくらいでないと、なぜ怒らないのかと当事者に言ってみても解決しないと思います>
派遣切りに遭い、すみかを失った人たちは、生活保護を受けられるという意識さえない場合も少なくないようだ。そして彼らが派遣村を足がかりに、促されて生活保護を申請すると、またぞろ「甘えている」と指をさされた。なぜ、これほどまでに「自分の命を守る」ために声を上げることがこの国では難しいのだろうと、私は再び問わざるを得ない。
おそらく、湯浅さんの言う「一から人をつくり直す」というところが非常に肝心だ。つまり逆にいえば、自分の命のために怒り、声を上げられない人もまた「つくられてきた」ことになるからだ。人間を作ったり作り直したりできるもの、それは「教育」のほかにはない。
というわけで、やっと本題である『戦争は教室から始まる』の紹介に入ることができる。毎度毎度、どうしてこんなに前置きが長くなるのか自分でもあきれているが、原因ははっきりしていて、書きながら考えているからである。考えてこれか、と言われるとつらい。それでも、先にこの本のテーマとして述べた「戦争ができる国」と「魂の刷り込み」の問題が、時間と空間を超えて続いていることを、私はどうしても考えないではいられないのだ。
本の主人公である北村小夜さんは1925年生まれ、1950年から36年間、東京都内の小・中学校(主に特殊学級)で教師をしていた。副題にもある通り、北村さん(お仲間は親しみを込めて「小夜さん」と呼ぶそうだ)は「元軍国少女」を自認する。高等女学校を卒業するとき、ボーイフレンドが海軍予備学生になった。彼は北村さんに「この世で(再び)会えなかったら靖国で会いましょう」と言い残した。カレシが戦死して喪服を着て靖国神社に参る――それは当時、非常にリアルな想像だったが、軍国少女はそれでは嫌だった。女性の自分も靖国神社に祀られる方法はないかと考え、日本赤十字社の看護婦になり、旧満州の陸軍病院で終戦を迎えた。
北村さんはこう言う。<旗と歌(日の丸・君が代)に唆されて戦争をして天皇のために費やした私の青春を取り戻そうと生きてきたわけですが、まだ取り戻せていません。耄碌して探し物ばかりしているのに、身に付いてしまっている教育勅語や軍歌はすらすら出てきます。これでは死ぬとき「天皇陛下万歳」と言わない保証はありません>
現役教師だった1950年代、教職員に対する「勤務評定」が政治問題になったときは、教育への国家統制だとして反対運動(勤評闘争)の先頭に立ったこともある。また、教壇から降りた後も再び軍国少女を作るなと訴えて歩いている北村さんでさえ、傘寿を超えてなお、国家主義教育と縁切りできていないというのである。教職を生涯の仕事としてきた人の言葉だけに、一層「教育」という営みが持つ切れ味、そして劇薬性が目の前に迫ってくるようだ。
その北村さんが2006年12月から翌年6月にかけて、6回にわたって行った連続学習会「戦争は教室から始まる」の内容を中心に編み直し、2008年9月に出版されたのが、この本である。戦前の教室が軍国少年、軍国少女を生み出す舞台装置としていかに機能していたかを豊富な資料とともにトレースするのはもちろんだが、それだけではない。本の帯には「戦前の教育はすでに復活している」とある。ここがキモである。