道尾秀介は、チューン・アップの天才だ。
デビュー作『背の眼』(幻冬舎文庫)は、良くも悪くも心霊現象を扱う「名探偵」真備庄介ありき、の小説だった。エンターテインメントの必要条件を手堅く揃えるため、あえて冒険をせずに定評のある既存の部品を使って作り上げた、という印象である。
ところが第二作『向日葵の咲かない夏』(新潮文庫)で、道尾はとんでもない変貌を遂げた。この作品は、喩えるならばストックカーレース用の特別仕様車だ。外形こそ従来のミステリー・フォーマットに沿っているが、道尾の組んだ独創的なコース(起伏は洒落にならないほどきつい)を走行するために、それまでの常識では考えられないような部品が使われている。シャーシを調べてみたら工場の旋盤が流用されていた、というような、人を不安にさせるたぐいの改造が施された小説だったのである。私はこの作品を読んで、一発で作者の魅力に嵌った。何を考えているかよくわからないが未知の土地に連れて行ってくれそうな感じの作家だ、と思ったのですね。
第三長篇『骸の爪』(幻冬舎ノベルス)は『背の眼』の続篇として前作の様式を踏襲した作品だったが、第四作の『シャドウ』(東京創元社)で道尾は、再び新しい実験に踏み切っている。今度の狙いは、ミステリーのプロットを応用して読者の心理を操作することだ。ミステリーはその長い歴史の中で、謎の解決を魅力的に演出するためにはプロットをいかにすべきか、という技術論を深化させてきた。『シャドウ』はそこに乗った作品である。撒き餌としての謎によって読者をおびき寄せ、準備した結末へと導き入れる。また、話の中途では、物語のかけらを豊富に準備して読者に拾わせ、一方向に心理を操作していく。そうして溜まりに溜まった予感が読者の心中で確信に変わるときに、ミステリー特有の作法で「裏切り」を行うわけである。瞬間の驚きが、激烈な化学反応を引き起こす。
『鬼の跫音』は、道尾秀介が初めて発表した短篇集である。『シャドウ』以降、道尾は楽しげに実験を繰り返してきた。『片眼の猿』(新潮社)のように、謎の種明かしによるサプライズの瞬間を物語のクライマックスとずらして読者に消化不良のような読後感を与え、余韻を引き起こすという意図で書かれた小説である。二〇〇八年の『ラットマン』(光文社)のように、「道尾秀介の小説」という先入観自体を利用してどんでん返しを仕掛けた作品もある。そうした試みが毎回準備されていて、しかもページを開くまで何をしてくるか予想もつかない、というのが道尾作品を読む楽しみなのだが、本書もそこの期待は裏切らない。
白眉としたいのは冒頭の「鈴虫」だ。九年前にSという人物が殺害されて山中に埋められるという事件が起きた。それが露見し、主人公が刑事に尋問される場面から物語は始まる。大学時代、主人公は杏子という女性を愛していたが、彼女はSの恋人だったのだ。壁の薄いアパートで、主人公はSの隣室だった。壁の向こうから聞こえてくる恋人同士の睦言を聞きながら、主人公は幾度となく眠れぬ夜を過ごしていた。その関係が事件を呼び寄せたのだ。青春の挫折を味わった主人公の人物像と、その語りが読者の心に不安を呼び起こす作品である。道尾作品ではたびたびあることだが、読み終えた途端にもう一度冒頭に戻って読み返したくなる小説だ。長篇ではエピソードの積み重ねによって読者を誘導していくわけだが、短篇ではそれが許されない。文字数を切り詰めていかなければならないからである。いきおい、語られるエピソードは非常に濃縮されたものになる。文章も、片言隻語に至るまで吟味された言葉が用いられるのだ。『鬼の跫音』はその濃さを楽しむべき短篇集だが、本篇の冒頭部分は効果が飛び抜けている。人間の感覚のあやふやさを衝いた、ほれぼれするような欺瞞が仕込まれているのだ。理想の小説を書こうとしてチューン・アップを繰り返した結果、道尾がたどり着いた境地がこれである。まだまだ進化を遂げるとは思うが、現時点での完成形をぜひ楽しんでください。
「鈴虫」の冴えと比肩すべき作品が、中途に配置された「冬の鬼」である。日記形式で書かれた変わった小説だが、これも読了後ただちにページを繰りなおしたくなる。「遠くから鬼の足音が聞こえる/私が聞きたくないことを囁いている/いや、違う。そんなはずはない」という冒頭の文章の切れ味が素晴らしい。小説の結末にどんでん返しの驚きを仕込んだ「最後の一撃」小説というのは他にもあるが、「最初の一撃」というのは珍しい。
また、暗い青春、悔悟とともに思い出すべき記憶を扱った「ケモノ<正式には、漢字のけものへんのみに(ケモノ)を付記>」「よいぎつね」は、道尾が繰り返し主題にする「人生の聖なる一回性」を扱った小説として、若い読者の共感を呼ぶはずだ。人生には陽のあたる場所だけではなく、永久に日陰のままのような暗がりもある。そうした厳しい現実をありのままに書くところは、作者の最大の美点である。暗がりを抱えた人間に対し、それが当然のことであり、屈託を完全に解消することは不可能である、と道尾は語りかけるのだ。暗鬱なトーンで語られた物語が多いが、そうした真摯な姿勢ゆえ、好ましい読後感が残る。書かれている内容はひどい話が多いのに、読むとなぜか道尾秀介という人が好きになってしまうはずだ。
『鬼の跫音』でミステリーと怪談のはざまの新境地へ。道尾秀介
杉江松恋さんによるインタビュー(2009年3月4日公開)