タイトルの「鱧の皮」とは、冒頭でお文が受け取った、金の無心を皮切りに勝手な要求をあれこれ書き連ねた長い手紙の末尾に、「鱧の皮を御送り下されたく候」と書かれてあった福造の好物のこと。福造に会いに東京へ旅立つ決心をしたお文が、蒲鉾屋で鱧の皮を買って店に戻り、「鱧の皮の小包を一寸撫でて見て、それから自分も寝支度にかかった。」が結びの一文となります。大正時代の道頓堀界隈の賑わいを紙上に再現した『モダン道頓堀探検』(橋本節也編著/創元社/2005年)を見ると、「鱧の皮」は、「大阪人にとって夏の食材としては無くてはならぬ一品。つまり、鱧の身をしごきとって蒲鉾を作り、残った皮にタレをかけて焼いたもので、夏場、蒲鉾屋の店先には必ず並んでいたそうな。」(42ページ)とあります。
同書によれば、お文が鱧の皮を買うために立ち寄った道頓堀の蒲鉾屋とは、相合橋南詰にあった有名店「さの半」であろうとのこと。しかし、「さの半」は平成14年に閉店、やはり作中でその賑わいぶりが活写されていた中座は同年に火事で全焼し、法善寺横丁も類焼して、往時の面影を偲ぶよすがもめっきり乏しくなりました。
しっかり者の女房とぐうたらな亭主の、「食」の仲立つ腐れ縁、という点において、やはり「鱧の皮」は、「夫婦善哉」をはじめとする大阪夫婦情話の原型というべき作品です。また、「食い意地の汚さ」を介して偏屈な人間性を描写する手法も、「夫婦善哉」の織田作之助が、上司小剣から引き継いだ要素の一つといえるでしょう。このたび岩波文庫から復刊された『鱧の皮 他五篇』に収録された「太政官」には、これまた偏屈者の主人公が、下働きの男女に米粒が玉のように白く光るまで一日がかりで足で搗かせ、指先で形の揃った粒だけを選り分けさせ、「岩山に生えた椚(くぬぎ)の三年枯れの堅巻で炊いた飯の、一番下と釜の底とが、移す時綺麗に離れるのでなければ」口にしないうえに、専用の小さな鰹節削り器で、「鼈甲(べっこう)のような本場の鰹節」を極細にかいて、「片口の白醤油をジトジトに垂らし」たおかずしか食べないという、おそるべき偏食ぶりながらも、なんとも食欲をそそられるおいしそうな食事の描写があります。
映画版『夫婦善哉』の続編『新・夫婦善哉』(豊田四郎監督/1963年)は、織田作之助の原作のほか、この上司小剣の「鱧の皮」も下敷きにしています。奔放なモダンガールお文(淡路恵子)に引っかかって、東京に出奔した柳吉(森繁久彌)を迎えに上京した蝶子(淡島千景)が、土産に持参した蓋物を差し出すと、蓋を開けてみた柳吉が「鱧の皮や、これ東京にないねん。……細こう切ってね、二杯酢に一晩漬けといて、温々(ぬくぬく)の御飯にかけて食べると、堪(こた)えられんねん」と嬉しそうにいうせりふに、原作小説の文章が活かされています。『新夫婦善哉』は、淡島・森繁の黄金コンビに加えて、東京のモダンガールを演じる淡路恵子が、元はSKDのダンサーとして鍛えたしなやかで強靭な脚線美も惜しげもなく披露して大暴れ、前作の撮影監督を務めたヴェテラン三浦光男に替わっての岡崎宏三のキャメラも冴えわたり、前作に勝るとも劣らない面白さです。
映画『夫婦善哉』『新・夫婦善哉』は、池袋・新文芸坐でこの4月15日-28日に開催される特集上映「芸能生活70年 淡島千景の歩み」で、18日(土)に二本立て上映される予定です。当日は淡路恵子さんのトークショーも予定されています。この機会ですから、原作小説と併せ、映画版もぜひスクリーンでご覧ください。
(引用中の旧字旧仮名遣いは新字新仮名遣いに改めました)