「夫婦善哉」が不朽の名作としての地位を確立したゆえんは、作品そのものの力もさることながら、やはり東宝で映画化された『夫婦善哉』(豊田四郎監督/1955年)の成功が大きいことは、衆人の認めるところでしょう。蝶子と柳吉が遍歴するさまざまな商売にまつわるディティールの面白さや、天婦羅を揚げる胡麻油や山椒昆布の匂いがページの紙から漂ってくるような精彩あふれる「食」の描写にかんしては、小説版に一日の長があるといえそうですが、映画版には、蝶子役の淡島千景と柳吉役の森繁久彌を筆頭に、最盛期の日本映画の中でも他に匹敵しがたいほどの粒揃いのキャスティングの魅力があります。芸達者ぞろいの出演陣の中でも、言うまでもなく絶妙のコンビネーションを見せる淡島・森繁の他には、蝶子の父種吉を演じた松竹新喜劇出身の田村楽太の、なんとも可愛らしいしょぼくれた貧乏親爺ぶりや、小説版にはわずかな描写しかない柳吉の実家の婿養子を演じた山茶花究の、いっそ小気味がよいほどの小憎らしさが、わけても光っています。
「夫婦善哉」の蝶子と柳吉が法善寺横丁で夫婦善哉を食べる場面は、小説版、映画版ともにそれぞれに味わい深い名場面ですが、「法善寺横丁の夫婦善哉」が重要な役割を担って登場する小説は、「夫婦善哉」が最初というわけではありません。映画版『夫婦善哉』のタイトルバックでも顔を見せていた、善哉屋の店頭に置かれた名物おかめ人形は、上司小剣(かみつかさ・しょうけん)が大正3年に発表した短編小説「鱧の皮」でも、次のように登場してきます。
「『このお多福古いもんだすな。何年経つても同し顔してよる……大かたをッさんの子供の時からおますのやろ。』
妙に感心した風の顔をして、お文はおかめ人形の前を動かなかった。笑み滴れさうな白い顔、下げ髪にした黒い頭、青や赤の着物の色どり、前こゞみになつて、客を迎へている姿が、お文の初めてこの人形を見た幾十年の昔と少しも変っていないと思われた。」(上司小剣『鱧の皮 他五篇』中の一編「鱧の皮」より/岩波文庫/2009年復刊/52ページ)
主人公お文が、叔父を誘って立ち寄った法善寺横丁で、善哉屋の看板がわりのおかめ人形をふと目に留める場面です。お文はしばし過去への思いに沈み、叔父の源太郎も、子供の頃すでにこの人形を見知っていたという死んだ祖母のことを思い出しつつ、「其の時分、千日前は墓場であつたそうなが、この辺はもうこうした賑やかさで、多くの人たちが、店に並んだ食物の匂を嗅ぎながら歩き廻っていたのであろうか。其の食物は皆人の腹に入って、其の人たちも追々に死んで行った。そうして後から後からと新らしい人が出て来て、食物を拵えたり、並べたり、歩き廻ったりしては、また追々に死んで行く。それをこのおかめ人形は、かうやつて何時まで眺めているのであろう。」(53ページ)との感慨にふけります。路地奥の小料理屋に入っての帰りがけ、二人は再び善哉屋のおかめ人形の前を通りかかり、源太郎は、子供の頃にこの辺りを走っていて、行きあった武士の腰の刀の柄に頭をぶつけてしまった思い出話を披露して、「をッさんも古いもんやな。芝居の舞台で見るのと違うて、二本差したほんまの武士(さむらい)を見てやはるんやもんなア。」とお文を笑わせます。
活気に満ちた道頓堀界隈の一夜、一流の料理屋の家付き女将として、獅子奮迅の立ち働き、気働きをくり広げる合間、東京へ出奔した道楽者の夫がまたしてもよこした金の無心の手紙に頭を悩ませる気丈な主人公と、その家族たちの動向を綴るこの短編小説は、「大阪」の言葉・風俗・文化・経済・地理・歴史についての豊穣なテクストとして、今もなお比類のない魅力を保っています。ごく短い小説ながら、主人公お文のいる大阪と夫福造のいる東京を両極とする地理空間の拡がりと、明治維新以前の過去から作中の現在時に至る歴史の流れが交錯して作りあげる、ことのほかの世界の大きさが、生活のディティールの描写の細やかさと相まって、鮮やかに印象に残ります。