だがその一方で、沢木耕太郎という作家にとって、旅は、あくまでも一側面にすぎないことを強調しておきたい。『深夜特急』があまりにも有名になってしまったために、「沢木耕太郎といえば旅」という印象が少なからずできあがってしまったのは、本人にとっては多少不本意なことであったかもしれない。彼は旅人である前に、類まれなる感性と文体を持ったノンフィクション作家だからだ。彼自身も確かどこかで述べていたように、彼の仕事の中で『深夜特急』というのは特殊な位置を占めているもので、ある意味、彼にとって旅は、本筋の仕事ではないという見方もできるのである。だから沢木氏には、旅以上に、沢木氏らしい人物などのノンフィクションを書き続けてほしい、という思いも私には強くある。
特に、沢木氏が『深夜特急』の旅をした時代、すなわち彼が20代、30代のころに描いたスポーツや社会に関するノンフィクション群は、そのシャープな文体と温かな眼差しによって、『深夜特急』とともに、もしかするとそれ以上に、時代を越えていつまでも残り続ける名著と思われるものが数多いのだ。沢木耕太郎を旅の作家と考えている方には、是非、旅以外の作品にも手を伸ばしてもらいたいと思う。
と、ここまで読んでもらえると、私が沢木ファンだということは明々白々という感じだろうが、そうなのである。ライターとしてのいまを考えるとき、私にとって沢木耕太郎氏は、他の作家とは全くレベルの違う存在感を持っている。とはいえ、沢木耕太郎論をぶつような大それたことをするつもりはない。ただ、自分にある「沢木耕太郎体験」とでも言えるものを少しここに書いておきたいと思う。
私事で恐縮だが、私はこれまで5年半ほどの間、海外各国で旅と定住を繰り返しながら、週刊誌や月刊誌にルポルタージュや写真を発表し続けてきた。それが自分の生活であった。
そんな遊牧民のような生活を志すようになったきっかけの一つに、沢木氏の文章に惹かれたということがあった。日本を出る1年ほど前から、掲載される当てもないまま、取材し、ルポルタージュを書き出したが、そのとき私は、全く厚かましいことに、沢木氏に直接自分の書いたものを送ったりしていた。そして手紙を添え、自分の気持ちをひたすら熱く書き綴った。自分は日本を出て旅をしながらルポルタージュを書いていきたいと思っている、読んでもらえないか、感想はもらえないか、沢木さんの作品が教科書なのです、と――。もちろん、本人から反応がもらえると期待するのはあまりにもおこがましいことだというのは承知していた。
しかし、それが突然、来たのである。
2003年春、日本を出発する一週間ほど前のことだった。沢木氏にも送っていたルポルタージュの掲載先を日本を出る前に見つけるべく、いくつもの出版社に原稿を持ち込み、やっとなんとか二本のうち一方の掲載先がほぼ決定したというときだった。
数回鳴った携帯電話の向こうから「近藤さんですか」と優しく丁寧な口調で話しかけてきたのは、まさに沢木氏だったのだ。彼に原稿を送ってから何ヶ月か経っていて、すでに何も期待はしていなかったときだったため、私は驚き、動転した。
想像していた通りに温かい人柄を感じさせる話し方で、原稿を読んだこととその簡潔な感想、そして、これから一人で書いていく旨を記した自分からの手紙に対してアドバイスをくれた。