旅を志すものの誰にとっても、『深夜特急』が意識せざるを得ない大きな存在であることは確かだろう。
その巨大な長編作品の<最終便>という位置づけで登場したこの『旅する力 深夜特急ノート』を書店で手にとり、その表紙がフランスのグラフィックデザイナー・カッサンドルの絵であることを確かめたとき、何か不思議な感覚に陥った。もちろん、『深夜特急』の全巻に通じるそのデザインに深い愛着があるからなのであるが、しかし不思議だったのは、愛着があると同時に、カッサンドルを身にまとったそのデザインを、新刊本として手にすることが実は初めてだったからだ。このシリーズが、いかに身近でありながらも、30年そこそこしか生きていない自分にとっては、かなり前の作品といえる存在だったことを実感させられる瞬間だった。
『深夜特急』の<第一便>が出たのが1986年で、旅の完結編である<第三便>が出たのが1992年。そしてその16年後に、カッサンドルの表紙が再度新刊本として書店に並ぶことで、深夜特急は再び大きな汽笛を鳴らし、新たな旅を走り始めたはずだ。
『旅する力 深夜特急ノート』は、旅に関する沢木氏のエッセイ集である。旅論であるとともに、沢木氏自身の旅人、作家としての人生の軌跡についての文章群にもなっている。すなわち沢木耕太郎の人生という旅がどう進んでいったかについての本であるともいえる。
沢木ファンならば、断片的には知っていることも多いはずだが、同時にそのさまざまな断片の隙間を埋めてくれるような文章に満ちている。
たとえば、どうして『深夜特急』の旅の最終目的地がロンドンだったのか、沢木氏自身は何にインスピレーションをもらって旅を志したのか、資金集めはどうしたか、ロンドンから日本に帰国するまで最後の日々はどうしていたか――。
この<最終便>は、一つの映画にとっての<メイキング・オブ・――>と題されたもののようでもある。そこに私たちは、『深夜特急』をさらに楽しむため、または余韻に浸るための材料を見出すのである。
しかし沢木氏にとってこの作品はそれ以上の意味を持っているのかもしれない。彼は『深夜特急』の旅自体の完結編となった<第三便>を出したときに気持ちについて、本書の中でこのようにも語っている。
「出したこと、出せたことでようやく安心できるようになった。気になっていたことがなくなって清々したが、第三便の出版はそれだけに終わらなかった。
のちに、私は壇一雄の妻であるヨソ子さんのモノローグによって一組の不思議な夫婦のありようを描くことになる。その『壇』という作品を書き終え、しばらくして壇ヨソ子さんにお会いすると、こう言われた。あなたに話し、書かれた文章を読んだことで、これまで自分の内部に確かに存在していた壇一雄が消えてしまった、と。
それはよく理解できた。『深夜特急』の第三便を書き終えたときの私がそうだったからだ。第三便を書くまで、あの旅は私の内部で生きつづけていた。生々しくうごめいていたと言ってもいい。ところが、書いて、作品として定着することで、その生々しさは消えてしまった。そして、遠くなっていってしまったのだ。
たぶん、そのとき、あの旅はひとつの死を迎えることになったのだろう。『深夜特急』として命を与えられることによって。」
本書の帯には、沢木耕太郎の「旅に関する文章の総決算となる初の長編エッセイ」とあるが、もしそうだとすれば、この<最終便>が出たことで、あるいは沢木氏にとっては「旅そのものが死を迎えることになった」ということもあるのかもしれない。そうだとすれば、沢木ファンとしては多少の寂しさを感じもする。沢木氏にはいつまでも旅を書き続けてほしいし、そういう意味で、これが<最終便>であっては困るという思いもある。彼にとって旅がいつまでも完結しえないものであってほしいと願うのは私だけではないはずだ。