「一人でノンフィクションを書いていくという道は非常に厳しい、ノンフィクションは現実の人とのつながりの中で書いていくものだから、初めはどこかに所属してジャーナリズムの人間関係の中でやっていく方がいいのではないか――」
すでに日本を出て海外からやっていくことを決めていた自分は、その言葉に正直少し戸惑ったが、しかしそれは沢木氏自身歩んできた道を思い返しながらの偽らざる気持ちなのだろうと思い、自分の心に深く刻み込んだ。
電話が終わりかけたとき、私は意を決して「できれば一度会っていただくことはできませんか」とお願いした。どうしてもこの機会を逃したくなかったのだ。訊きたいことが無数にあった。が、彼はこう言った。
「会っても、私があなたにお話できることは今言ったことに尽きます」
確かにそうかもしれなかった。そして、会う機会はいつか自分で掴まなければならないのだ、と思いなおした。
一週間後、私は沢木氏の作品をバッグに詰め、日本を発った。
その後、年に1度ぐらい、オーストラリアから、中国から、ラオスから、というように、沢木氏には近況や自分の書いたものを手紙で送り続けた。そして5年半がたった08年10月に私は日本に帰国した。
帰国した直後の昨年11月に、早稲田大学で沢木氏の講演会があるというので、これはと思い、喜び勇んで足を運んだ。
その講演のあと、どうしようかと迷った挙句、意を決して主催者に事情を話し、沢木さんにご挨拶できないか、と聞いてみた。すると、中に通してもらえたのだ。控え室に入っていくと、そこには確かに沢木氏がいた。
緊張をほぐしてくれるような笑顔で迎えてくれるなり、「しばらく中国にいたんだよね?」といきなり沢木氏から声をかけられ、驚いた。覚えていてくれたのだ、と単純に感激に浸ってしまった。そして自分の旅についてしばらく話をさせてもらうことができた。その5分ほどの時間で感じたのは、沢木氏の文章から滲み出る優しさと温かさと力強さそのものであったように思う。
そのわずかな体験が、いま自分が文章を書き続けるに当たって大きなモチベーションを与え続けてくれていることは確かだ。沢木氏の文章、言葉、そして生き方には、それだけのインパクトがある。
早稲田大学の講演会場は、500人は優に入るだろう大きなホールに大勢の立ち見も出るほどだった。講演会のタイトルは「旅する力」。本書と同じタイトルである。その数週間後に、この『旅する力 深夜特急ノート』が発売されたのだ。そんな経緯もあって、私にとってこの本は特別に思い入れが深いものになった。
と、私事が多くなってしまったが、旅するものにとって、また沢木耕太郎という存在になんらかの興味を覚える人にとって、この本が、ひとつの沢木耕太郎体験になることは確かだろう。
しかし、沢木耕太郎がもっとも願っていることは、旅に興味のなかった人が、この本を読んで、旅に出ようという気持ちになってくれることなのかもしれない。