林氏は本の中で、いわゆる「湾岸トラウマ」のウソ八百を暴いている。1991年の湾岸戦争のとき、日本は130億ドルもの経済支援を行ったが、自衛隊を送らなかったから国際的に評価されなかった――という言説である。この湾岸トラウマのために「国際貢献=海外への自衛隊派兵」が公式になった。
<「湾岸トラウマ」とは、米国からの外交的圧力に抗しきれなかった日本の政治家や外交担当者たちが、「憲法第九条が悪い、護憲派が悪い」といったように責任転嫁すべく、でっち上げたものに過ぎない>と林氏は喝破するのだが、「カネだけ出して血を流そうとしないのは卑怯だ」と言われ、口をつぐんでしまった護憲派は決して少なくないだろう。同胞である自衛隊員をやすやすと「アメリカの傭兵」にしてしまったのは、私たちでもある。
そして、私自身がこの本の真骨頂だと思うのは<自衛隊は憲法違反だとする政治勢力が国民の多数派から支持を得られなかった理由は、「軍備を放棄して、どこかの国が攻めてきたらどうするのか」という素朴だが本質的な疑問に、きちんと答えることができなかったからである>という視点だ。
正確に言えば、きちんと答えることはできる。「攻めてくるって、一体どこの国が?」と現実の世界情勢に即した話の筋道は立てられる。ただ、発するのに5秒とかからない疑問を解きほぐすのに1時間あれば足りるかといえば、そうとは限らない。乗り越えたつもりでいても、何度も同じ問いをぶつけられ、答えるほうは疲れてしまうのだ。
林氏は、自衛隊を「専守防衛」のための戦力であると明確にし、憲法9条2項(戦力の不保持)の手直しを主張するのだが、私自身はこの「素朴だが本質的な疑問」に、同じく「素朴で本質的な解答」で応戦できるようにする努力を続けていきたい。
仮に、戦争を否定するのにただ「憲法9条があるから」と言うだけなら、旧日本軍のほかに自慢するものが見つけられなかった自衛隊幹部と変わらない。もし日本国憲法という「形」がなかったら、非戦の理想を心に抱くことはできないのだろうか? 私たちはもっと、言葉の力を磨いていかなければならない。