「歴史」を一通り学んできた者なら、自衛隊が旧日本軍と明確に一線を画して誕生したことを知っている。それなのに、なぜ自衛隊の幹部中の幹部といえる人物が、わざわざ無理筋の論文まで書いて旧軍をかばい立てしなければいけないのだろうか。「昔の軍隊はそれはヒドいものでしたが、私たち自衛隊は違います」と胸を張らないのはなぜなのか。
ここで、二つの文章を見てもらいたい。
<(日本の侵略行為を裁いた東京裁判の)マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する>
<アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう>
前者は田母神論文「日本は侵略国家であったのか」の一部分。そして後者は、今回紹介する『防衛黒書』の中でジャーナリストの林信吾氏が、1970年に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で改憲のためのクーデター決起を呼びかけた後、割腹自殺した作家・三島由紀夫がものした「檄」から引き写した一節である。
似てはいる。この二人を比べるな、としかられそうだが、いずれも日米安保条約のもとで自衛隊が米軍を補完して働くのでなく、米軍に頼らない、いわゆる「自主防衛」を求めている点で共通する。『防衛黒書』は2008年9月に書き下ろし文庫として出版されたので、田母神論文の一件には言及されていないが、田母神氏が述べる「日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく」という認識は、まさに今、三島由紀夫がいう「左派」の見方とも大いに重なる。
メビウスの帯の裏表のように、左右がいつの間にか通じるややこしさが生まれたわけは、言うまでもなく戦力の保持を禁じる日本国憲法のもとで自衛隊が創設されたことだが、これを第一の矛盾とすれば、第二の矛盾は世界有数の戦力を保有し、海外派兵能力(≒侵攻能力)もある自衛隊が今なお米軍の下請けをやっていることだ。
第一の矛盾を解消するには(1)憲法を変える(2)自衛隊をやめる、の二通りがある。第二の矛盾については、(3)米軍の核の傘から出る(4)大幅軍縮して対米従属を強化する、という選択肢がある。見た目は非常に簡単なアルゴリズムであり、(2)を選べばそこで終了。(1)を選んだ場合、(3)か(4)のどちらかを選択すれば、(是非は別として)ややこしさは雲散霧消するはずだ。
ところが、日本の戦後史はそう単純ではない。歴代政権がとってきたのは、二つの矛盾に対して、それぞれ「どちらも選ばない」という態度だった。対米従属を国是としつつ、一方で自衛隊を年々増強し、そして憲法問題を争点としてこなかった。
この本『防衛黒書』では、冒頭から日本国憲法が制定された経緯、東西冷戦が先鋭化する中で、朝鮮戦争勃発をきっかけに警察予備隊→保安隊→自衛隊と、実力組織が再生していく過程、同時に憲法理念と現実がどんどん離れていく様子を一通りトレースする。歴代内閣が曲折はあるにせよ、とにかく「経済発展」を優先させるため、安全保障にまつわる矛盾に目をつぶってきた経緯が、分かりやすくまとめられている。