さて、執筆の時点から遡ること「二十年以上も前」の深夜、たまたまテレビで放映されていた小津安二郎の『晩春』を見た中村氏の体験の回想から、この《怪談》は語り起こされます。
《ブラウン管の原節子を見ているうちに、何やら居心地の悪さが募ってきたのだった。それは次第に深い恐怖となって、映画の終盤に至ると錯乱寸前、ほとんど、髪は逆立ち脂汗はにじみ、叫び出したいのを硬直した姿勢でかろうじて耐えている、といった有様であった。無気味さが原節子の顔にかかわるものだったという点には妙な確信がある。しかしそれほどに怯えた理由はそのときも理解できなかったし、いまもなお判然としないのである。(51ページ)》
この深夜の恐怖体験から長い歳月が過ぎたのち、中村氏は、『晩春』の「DVDを行きつ戻りつ、ときに停止させながら見なおす過程において」、画面に存在している一連の無気味なイメージを発見するに至ります。ここで精緻な画面分析を通じて発見されるイメージの連なりは、確かにそれ自体が戦慄すべき無気味なものです。しかし、この《怪談》のもたらす「恐怖」とは、DVDの再生画面に発見された無気味なイメージ自体のみから最終的に導き出されるものではなく、「二十年数前の中村氏の『晩春』をめぐる恐怖体験」と、「《現在》の中村氏が、DVDを見なおしつつ、画面上の無気味なイメージを発見してゆく体験」、そして「過去に『晩春』を見た記憶を反芻しつつ、この《怪談》を読み進めるわれわれの体験」の共有不可能性からも生じてくるものではないでしょうか。
結局、DVDの画面上に確かに無気味なイメージが発見されたのちも、過去に中村氏が『晩春』を放映するテレビの画面上で目撃した「無気味なもの」の正体が、完全に解明される機会はもはや訪れません。そして、おそらくはここで指摘されている無気味なイメージの存在には全く気づかぬまま、『晩春』を見終えたであろうわれわれが、読後、「確かにあそこには何か恐ろしいものがあったかもしれない」、「わたしはそれに気づいていたかもしれない」、「しかしそんなものは存在しなかったかもしれない」という判断の迷いから完全に解放される機会も、また与えられることはありません。
《二十数年前、あの晩はただ受動的にテレビの映像を追うだけだった私の恐怖が、これらの気づかれにくい(しかし「サブリミナル」ではない)イメージに由来するものでなかったとは断言できない。もちろん、そうであったという確証もない。むしろ、現代において映画を見ることの新しい恐ろしさとは、私たちがつねにそのような可視と不可視の不確定性のなかで瞳をこらさざるをえないという事実を、いやおうなく突きつけられる点にこそあるのだろう。(55ページ)》
われわれはもはや取り返しのつかない過去となった映画体験において、それと気づかずに「無気味なもの」に出会ってしまっていたかもしれない。あるいは、今後もくり返されるであろう映画体験において、不意に「無気味なもの」に出会い、その体験を誰とも共有することができないまま、孤独のうちに恐怖に震える機会がいつ訪れるかもわからない……。そのような気づきの機会に対し、怯えとともに、期待と欲望を掻きたててやまないこの《怪談》のうちには、これまで気付かれずにきた「映画の恐怖」の可能性の一端が、確実に捉えられているといえるでしょう。
というわけで、残暑きびしい夜の過ごし方としては、まず小津安二郎『晩春』を見た後に、この1冊を読み、「紀子の首」はなるべく最後に読むために取っておかれることをお奨めします。そういえば、『晩春』のラスト近くのあまりにも有名なワンシーンで、執拗に映し出される「深夜の旅館の一室の床の間」とは、修学旅行の夜の怪談話だと、「何か恐ろしいものが出現する場所」の定番ではなかったでしょうか……。