「遣唐使について何を知ってるんだっけ?」と自問してみて、ほとんどまとまりのあることを知らないとわかった。それが去年のことで、その時偶然書店で『遣唐使全航海』(上田雄著・草思社刊、2006年12月4日初版刊行)という本を見つけたので、読んだ。この本は非常に興味深い本だった(この本もお奨めの一冊)。
とても内容のいい本だけれど、地味だし「今どき遣唐使に興味を持つ人なんかいるのか? こういう本は一体誰が買うんだろう?」と思った。一瞬の後、あ、オレが買うんだと心の中で笑ってしまった。
先に書いてしまうと、遣唐使は「日本の古代の漂流譚として読む」と、歴史的意味とは別にかなり面白い。多くの日本人が死んでいるので、面白いは失礼かも知れないが。
日本と中国とのつきあいの中、遣隋使に始まった外交関係で歴史にその名をとどめている遣唐使というのはどんなものだったか、知識をまとめておくのもいいなという気になって、先の本を買って読み始めてびっくりした。
国家事業のはずの外交事業「遣唐使」の実態が正確にわかっていないところがあるというのだ。
普通に言うと「そりゃないだろ!」である。
古いことだとはいっても、国家事業だったんだからしっかりした公式の記録があるだろう、と私は思ったが、そうではないようで、正確に遣唐使が何回大陸まで行ったのかはっきりしないそうだし、計画だけはあったが実際は行っていない「派遣」もあったという。遣唐使を研究している学者の間でも派遣の回数が確定していないというのだから、うーむであった。1000年以上も前のこととなると、そんなものか。
コレダカラ歴史ハ面白イ、のだ。
日本の歴史について、私は「いつ日本が日本になったのか」という遙かな古代と、あとは家康が幕府を開いてから大政奉還するまでの江戸時代以外には、ほとんど手をつけないできた(生意気な言い方)。
基本的にはどの時代を切り取って読んでも、調べても、素人なりに研究しても「私たちの国の歴史」が面白くないわけがない、と思っている。だから、手をつけたら深みにはまるのは目に見えているので、素人として研究するのは、古代と江戸時代ぐらいにしておかないと手に負えないと考えている。それでも、古代については人前で話したら1時間ももたない程度にしか知識がないと思う。昔大いに盛り上がった「邪馬台国論争」なんかに加わりたくて勉強したがすっかり忘れてしまった。といって、江戸時代についても、少しは知っているという程度なのだが。
歴史が年表のページに整理された「動きを止めてしまった人の営み」と思ってしまえば、そりゃぁ暗記物になってしまう(愚かな!)。しかし、実際はわかっていないことが多く、また歴史の教科書だってそれぞれに「偏った」見方しかしていないのだから、あれはどうなんだろうと疑問を持って一定のレベルに達している(と自分が思う)本を手にして、きちんと読んでみると、間違いなく面白い。そうすると芋蔓式に読むべき本が出てきて、楽しく深みにはまっていくわけだ。
それに、新しい発見やこれまでの定説が揺らぐことも多く、歴史は死んではいない。
また、文献が残っているものだけを基礎にする歴史研究の方法がほぼ崩れてきて、科学分野の学者が参加し大量の資料を集めてコンピュータで分析するという時代になり、わかることの数が増えて歴史が変わっているという面もある。少し前から、今まで以上に歴史が面白くなっている、といっていい。
あの聖徳太子だって、実はいなかった、という説があるぐらいだ。
さてさて『最後の遣唐使』、である。
小野妹子などが派遣された遣隋使、その隋が倒れて唐になって、遣唐使が派遣されるようになった。大陸に渡った学僧や若き知識人、政治家によって日本にもたらされた彼の国の制度や文化的な文物によって日本は新たな時代を迎えた、ということになっている。
外交関係を保ち「政府高官、有識者」を派遣するわけだから、定期的に大陸に渡っては新しい文物を持ち帰ってはこの国で広めたり、政治的・文化的に役立ててきたのだと思っていたのだが、それは外れで、全然定期的な派遣ではない遣唐使である。