二十世紀文学史は、英文学の時代を終らせ、英語文学の時代をつくりだした。(4)ナイポール、ラシュディ、クッツェーは、こうした時代をリードした。では、クッツェーはどんな地平を切り拓いただろう、いかにして文学の覇権を奪ったろう。前期クッツェー1971年~1990年までの仕事を振り返ってみよう。
かれはのデビュー作は、1974年"Duskland"(薄闇の国)である。この作品は、一方に二十世紀のアメリカのヴェトナム爆撃計画を、他方に、十八世紀のアフリカ植民計画を書いたヤコブス・クッツェーの手記を対比的に描いた前衛性の高い作品である。いかにも難解な書式である、サミュエル・ベケットの世代の書き方への親近性か、それともリアリズムよりも観念に親和的であるのか。あるいは検閲制度のなかで書き、生き抜けるための知恵か。
二作目に『石の女(In The Heart of the Country)』(1977年)を発表。アフリカの内陸農業地帯の農家で、孤独に暮らす白人の中年女、彼女の父はアフリカ人の使用人の妻と関係していた、彼女はそれが絶えがたく、父を殺す。その後、彼女も使用人と関係をもつ。やがて彼女は精神をおかしくしてゆく。植民者の絶望的孤独を描いた作品である。
『夷狄を待ちながら』(1980年)。植民者が現地人ゲリラの来襲にひそかに怯えているはなしである。拷問をかけても口を割らない現地人。ひとりの白人民生官は、現地人と通じ合ったがゆえに、転落してゆく。
『マイケル・K』(1983年)は、兎口で知恵遅れの庭師が、老いた母親を連れ、旅をする。途中で母親は死に、かれも精神の危機を迎えるが、最後は生きる力を見つける。世界でもっとも弱い者がもっとも雄雄しく生きてゆくはなし。
『鉄の時代』(1990年)は、引退した古典文学の教授は癌にかかり余命いくばくもない、彼女はアメリカの娘に手紙を書き、アパルトヘイト末期の南アフリカについて語る。
さて、この時期の南アフリカは、1991年当時のデクラーク大統領がアパルトヘイト法撤廃を打ち出したのだが、それは必ずしもハッピーエンドになることもなく、ある意味では、いっそう混乱は深まっていった。もっともクッツェーにとっては、1994年の検閲制度の撤廃はよろこばしいことだったろう。
ついでながらその後、前期クッツェーの仕事に準じる重要な作品は、1999年の『恥辱』であり、これはいわばビギナーズ・ガイド・トゥ・クッツェーのようなものだ。社会はともすれば人間の威厳をやすやすと奪ってしまう、人間にとって威厳とはなにか、あるいは他人の威厳を奪うということはいかなることかを主題とした作品である。
クッツェーの作品において善/悪は恣意的であり、惨劇は突然起こり、人はただ運命に翻弄され、人はただ不安のなかで生き、人が安定した秩序のなかで生きる日はついぞ訪れない。ただしクッツェーの作品の根底には、生きることへの強い意思があり、そしてそれは思想信条とは無縁な、もっと根源的で、野蛮な意思である。
カリブの黒人小説家キャリル・フィリップスは『新しい世界のかたち-黒人の歴史文化とディアスポラの世界地図』(Caryl Phillips;"A New World Order",2001年。上野直子訳、明石書店、2007年、167~184頁)のなかで、クッツェーの仕事の全容を「もはやヨーロッパ人ではなく、だが、いまだアフリカの人間にはなっていない」人間の仕事と定義し、「アパルトヘイト政権の最後の日々と『新しい南アフリカ』の胎動が投げかける長い影のもとで綴られてきた」ととらえる。著者は、クッツェーは黒人/白人、左翼/右翼、革命/反動の二項対立に陥らぬよう賢明に努力してきた、とその努力を称え、その主要作品を語り高く評価しながらも、しかしアパルトヘイト法撤回後のクッツェーの仕事には、質の低下を見るという見方に同意している。なるほどこれはこれでひとつの図式的な見解でありながらそれなりの説得力をもってはいる、しかし、むしろクッツェーは、『恥辱』(1999年)という、これまでの晦渋な作品からうってかわって、ほとんどエンターテインメントのように読みやすくわかりやすい小説を書いて以降、なにかがふっきれたのではないだろうか。