物語のクライマックス、いや、アンチクライマックスは、海で溺れかけるシーンである。もはや物語は後半部分にさしかかっている。ラヴェルはリハビリのため郷里の海へ。泳ぎの巧かったラヴェルは、つい沖まで泳いでしまう。けれどもいつまでたってもラヴェルは戻って来ない。いつまでたっても戻ってこない。もしもここでラヴェルが死んでたら、物語は悲劇になっただろう。ところが同伴者が心配して沖まで探しに行ったところ、なんとラヴェルは(どこで手にしたのか)浮き袋にすがり、助けが来てくれるのをただただ待っていたのだった、ラヴェルはつぶやく、泳ぎ方を忘れてしまってね。
かわいそうなラヴェル! あんなにもチャーミングな音楽をたくさん書き、世界の大スターに駆け上ったラヴェルが、浮き袋につかまって、助けの訪れを無力に待ちながら、呆然と、空と海のあわいに漂っていたなんて。物語はすでに、悲劇のかっこよさから、見捨てられてもいる。しかも、もしも深読みするならば、この場面はなんとオンディーヌのパロディなのである。そう、ラヴェルが『夜のガスパール』で描いた、水の精オンディーヌの…。著者ジャン・エシュノーズさんのウィットがかいま見える。
ただし、悲劇になろうがなるまいが、ラヴェルに進行してゆく痴呆はもはや悲惨な状態に達していた、だって泳ぎを忘れるなんて、ふつうはありえない。そのありえないことがラヴェルに起こってる。ラヴェルはいったいどうなっちゃうんだろう? なにか打つ手はないものか。このまま崩壊の過程を見守っているだけだなんて! そこで、友達たちが見るに見かね、藁をもすがるように(嫌がるラヴェルにむりやりに)脳外科手術をさせる。
医師は、「頭蓋をのこぎりでひき、右前面を分けて取り除き、硬膜を水平に開け、内部の様子を診断する。腫瘍がどこにも見つからなかったので、脳室角を穿刺し、水分を少し出そうとする、しかし水分は局部を押さないとでてこない。脳を多少膨張させようと何度も少量の水を注射する。脳は膨張するがすぐ縮む、脳萎縮は取り返しのつかないものに思われる、医者たちは匙を投げ、注射した穴をふさぎ、それから、硬膜を開けたままで、前面をもとの場所に戻し茶色い糸で縫合する。」
余談ながら、知り合いの脳外科医は、この手術の場面の記述に驚きを隠さなかった、「硬膜を開けたままにするというのは、現在の脳外科の手術では絶対に考えられないこと。これだけで死亡の原因になってもおかしくはありません。ただし当時の脳外科の手術のレベルについてはまったく知識がないので、私には分かりかねますが・・・」おそらく著者のエシュノーズさんは、この手術に医療事故か、あるいは1930年の医学の限界を明示しているではないか、その死の偶然性を強調せんがために。そう、悲劇から見放された、われわれの同時代人ラヴェルの死の、偶然性を。
そしてエシュノーズさんは続けてさっと軽くエピローグを描きあげる、(さまざまなセレブたちと交友していたにもかかわらず)ラヴェルは人生の最後に、長年炊事洗濯を頼んでいたレヴロ夫人をこそ呼ぶ場面を。そして小説はラストへ向かう、「ラヴェルは再び眠りにつき、十日後に亡くなった。遺体は黒い礼服、白いベスト、ウイングカラーのシャツに白い蝶ネクタイ、明色の手袋を嵌め、遺書は残さず、映像も、録音された声も残さなかった。」
簡潔な書き方が、いっそう哀しみを胸に染み入らせる。かわいそうな、ラヴェル! さて、こうして最後まで読み進んだ読者は、はたと気づくだろう。いまおもえば、この小説が〈水〉のテーマの変奏に拠って、描かれていたことに。
そう、冒頭一段落、「細かい垢と石鹸に抜け毛がからまって浮いている、ほどよい暖かさの、泡に包まれたお湯」、なんとそれは二十六歳のラヴェルが描いた『水の戯れ』のきらめく水、三十歳のラヴェルが描いた組曲『鏡』のなかの『海原の小舟』の、光に照り返し、空模様を写し出す水、そして三十三歳のラヴェルが描いた『夜のガスパール』の、愛と哀しみの、水のオンディーヌの、水の、その、めぐりめぐったなれの果ての、〈水〉ではなかったか。もっとも、エシュノーズさんの〈水〉は、まことにもって散文的な、そして詩情と無縁な〈水〉である。そしてこのまったくもって詩情と無縁な、きわめて散文的な〈水〉が、例の、ラヴェルが危うく溺れかける海に、そして最後の脳手術で、ラヴェルの大脳に注射される〈少量の水〉に、繋がるのである。