ラヴェルを描くにあたって、晩年の十年だけを描くなんて、ひどいじゃないか。まるでビートルズの評伝をブライアン・エプスタインの死から書き起こすようなもの。マイルス・デイヴィスの伝記を1980年のフュージョン時代から始めるようなもの。しかもこの著者は、入浴中のラヴェルのシーンから物語をはじめる。ラヴェルファンは困惑し、憤慨するかもしれない、小説家という人種は勝手なものだ、事実と妄想の区別もつかない、なんてね。実を言うとかくいうおれも、最初はずいぶんとまどった。しかし何度も読み直したり、ほかの評伝にあたってみた結果、意外なことにエシュノーズさんはこの小説を書くにあたって、むしろ創作を控えているようだ。たとえば執筆に際して、ラヴェル自身の言葉は伝記的事実から、必ずそのまま引用し決して創作はしない、というルールを課しているそうな(訳者のあとがきに拠ると)。
では、この小説がまったくの100パーセントの評伝かと言うと、それはまたそれで、微妙なのである。なぜってここで描かれているラヴェルは、鬱病にかかったピーウィー・ハーマンのようで、どこまでがエシュノーズさんの見立てで、どこまでがラヴェル本人の資質なのかは、けっきょくのところわからない。おそらく著者は事実の扱いの選択に拠って、そして扱う事実群のウェイトを加減する操作に拠って、評伝を小説に変容させているようなのである。しかも114ページの小説なのに、2、3度読んだくらいでは、読み尽くした気がいっこうにしない。それどころか読み込んでゆくうちに、著者がなぜ、晩年の十年を選んだのか、その意図も伝わってきた。ま、そのあたりの話はおいおいやってゆくとして、まずね、書き方が凝ってるんだよ。
冒頭一段落を引用しよう。
湯船からあがりたくないときが誰だってある。大体、身体をこすった後の細かい垢と石鹸に抜け毛がからまって浮いている、ほどよい暖かさの、泡に包まれたお湯に別れをつげ、暖房の効いていない家の冷気に身を晒すのは残念きわまりないことだ。その上、背があまり高くなかったり、猫足つきバスタブの淵が高かったりしようものなら、湯船をまたいで浴室の滑りやすいタイルにそろそろ足の指を着地させようとするだけでも一仕事になる。股をぶつけたり、滑って転ぶなんてことにならないように、慎重にことを行うのが賢明だ。勿論、そんな面倒をさけるためには、自分の背丈に合わせて湯船をオーダーメイドするのが一番だが、それには費用もかかり、新型にもかかわらず十分に暖まらないセントラルヒーティングを設置したときよりも高い見積もりになるかもしれない。それならば、何時間、いや永遠に湯船に首までつかり、右足で時折蛇口をひねってお湯を少しづつ足しては温度を調節し、羊水に包まれているような気分を保っている方がずっといいというものだ。(引用終り)。
うん、ま、ここでは誰にでもおぼえがある気分が述べられている、風呂で気持ち良くなって、あがりたくないなぁ、バスタブの大きさがやや体に合っていないけれどだからといってうんぬんかんぬん…。さて、ラヴェルはこの時期、名声の頂点。アメリカ~カナダの演奏旅行は大成功。もともとかれのピアノはそれほど巧くはないけれど、それでも誰もが拍手喝采。なんてったって、あのラヴェルのピアノ演奏だもの。ラヴェルは自分が人気絶頂であることに気をよくして自作自演の仕事を増やそうとおもいいたつ。ラヴェルはピアノの練習をはじめる、ところが練習しても練習しても、もはやかれの演奏技術は、かれの書いたピアノ曲に、追いつけない。このときラヴェルはひそかに自分の内部ではじまっていた危機に気づく。
われわれ読者はすでにラヴェルの晩年の人生の危機のアウトラインを知っている。いつしかラヴェルに書字障害が現れ、感情のコントロールができかねる症状が現れ、やがて身体のコントロールが巧くできない、という危機的な状態に至る。どうやら『ボレロ』『左手のためのコンチェルト』の時期に、すでにこうした障害の兆候が、いくらか現れているようだ。著者は、そのラヴェルの人生に走りはじめたひびを、ていねいに追いかけてゆく。ひびの進行。ひとつの象徴になっているのが、かれの書くサインの字体が崩れはじめてゆくこと。そう、サインが体を成さなくなってゆく。生身のラヴェルと、社会的なラヴェルのつながりが失われてゆく象徴のように。このときからラヴェルは、かれ自身の内部で進行してゆく崩壊過程の、冷静な観察者になってゆく。そう、とうとうそこまで深刻な事態まで物語は描いてゆく、あくまでも軽く、俊敏な、よく動く仔犬のしっぽのような文体で。