周囲の人間関係や状況を踏まえて使い分ければいい。「指針」はそのことを「敬語は自己表現であるべきだ」という言い方で表しているのだが、梶原さんは本の中で「自己表現」の意味を、分かりやすくこう説明している。
<すなわち、結婚式に招かれたときは最低、略礼服を着ておこう。(中略)同業者の気取らない会合だから、ネクタイはしないが、ジャケットだけは羽織っていくか。(中略)このように我々は日常生活の中で場面に応じた服選びをしています。これが服装における「自己表現」であり、敬語も同じだという事なのです>
梶原さんが敬語を「生きた言葉」だと述べるのは、そういう意味だ。本の中でも「指針」が「生きた敬語」となるよう心を砕いていることに注目している。「指針」では実生活でありがちな場面に即して「敬語の具体的な使い方」を挙げているが、中には「講演会の講師に、終了後の懇親会で『すてきなネクタイですね』と褒めてもいいのだろうか」といった、それは敬語というより「マナー」の問題だろう、と突っ込みを入れたくなる例題もある。政府関係の答申は往々にして無味乾燥かつ意味不明なのが普通だが、こんなに「面白い」ものもあるのだ、と気づかせてくれたことが、私にはこの本の何よりの功績だと思う。
敬語といえば、とかく「間違えてはいけない」という気持ちが先に立つ。さんざん苦労して身につけた敬語だから、他人が平気で「間違った」使い方をするのを見ると、もう平常心ではいられないのだ。しかし、梶原さんは敬語をそういう減点主義ではなく、
<敬語とはコミュニケーション力向上のための武器である>
と、プラス思考でとらえる。「武器」なのだから、始終振りかざしていては効き目が薄れる。久米宏、みのもんた、小倉智昭の3氏を敬語使いの「三大名人」と呼び、しゃべりの中で敬語と「タメ語」をどのくらいの配合率で交ぜ、威力を上げているのかをそれぞれに分析しているところが面白い。
また、「指針」では「ご注文のお品はおそろいになりましたでしょうか」など、いわゆる「マニュアル敬語」の問題にも触れている。「指針」は「ご注文の品はそろいましたでしょうか」が正しい、と述べつつ、加えて「敬語の使い方に問題はなくても、お客の顔を全く見ないまま接客を済ますなど、態度が言葉を裏切っている大人も世の中には少なくない」と苦言を呈している。これに梶原さんはまったく同感、と言いながら、
<何だか妙に熱い口調が気になります>
と混ぜ返す。そして、きっと審議会の場で「コンビニ店員が一度も顔を上げないまま『ありがとうございました、またお越しください』と言ったのには腹が立つ」と、委員同士の議論があったのではないか、と「想像」してみせる。このへんの、冗談めかした物言いの「間合い」も絶妙だ。
梶原さんはフリーアナウンサーとして活躍する傍ら、大学院に通って心理学を修めた(心理学修士、現在は東京成徳大学客員教授)。なるほど、この本は人間観察のたまものである。