知り合いの女性ライター(団塊世代)のご主人が、お仲間数人とチェーン店系の居酒屋に繰り出したときの話である。
とりあえずのビールをぐいっと飲み干し、「熱燗1本」と追加注文をしたら、アルバイトとみられる若い女性店員がしばらくけげんな顔をした後、「置いてません」と答えたのだそうだ。一度はそんなもんかな……と思ったが、居酒屋に燗酒がないというのはどう考えてもおかしい。別の男性店員に「日本酒を熱くして出してくれないか」と頼んだら、「はい、熱燗一丁」と難なく注文が通ったという。
また、別の機会には宴を切り上げる段になって、これも若い女性の居酒屋店員に「おあいそ」と告げた。が、いつまでたっても反応がない。しびれを切らして「お会計をしてください」と催促したら、すぐに勘定書きが来た。
知人のライターはこれに驚き、「近ごろの若者は『熱燗』や『おあいそ』という言葉も知らない」と、ある新聞のコラムに書いたのだそうだ。そうしたら、今度は70代の男性読者から「そもそも『おあいそ』とは店側が使う隠語であって、客が使うのは間違いである。若者の語彙不足をあげつらう前に、自らを省みるべきではないか」という趣旨の、おしかりの便りが届いたという。
なるほど、ことほどさように日本語は奥が深く難しい、という話なのである。
ところで、さまざまな日本語の使い方の中で、最も難しいのは、やはり「敬語」であろう。テレビのグルメ番組で、若い女性リポーターが「(視聴者の方も)召し上がってください」と言うべきところを、「いただいてください」としゃべった――と、血相を変えてテレビ局に苦情電話をかける人も少なくないようである。
しかし、確かに「いただいてください」は間違いだとしても、リポーターが視聴者の立場を尊重したいと(形だけでも)思っている様子は伝わってくる。気持ちは分かる、のである。それでも、なまじ不正確な敬語を使ったばかりに逆に相手を怒らせてしまう。本末転倒である。私たちはなぜか、こと「敬語」となると、心が狭くなってしまうようである。
というわけで、毎年4月になると、新社会人向けの敬語入門書が本屋の棚を飾るのだが、付け焼き刃が通用するほど世間は甘くない。新入社員がいつ地雷を踏むかと、職場ではお局さまが手ぐすねを引いて待っているのだ。例えば、新入社員が不慣れな仕事に頑張り、上司からほめられたとき、謙遜して「とんでもございません」と言ったとする。さあ、お局さまの出番である。
「あなた今、何て言った? 『とんでもない』は、それで一つながりの形容詞なの。『ない』を『とんでも』と切り離すのは大間違いよ。正しくは『とんでもないことでございます』。これからは気をつけて!」
小鼻がふくらむのが見えるようだが、実は今、そんなお局さまの顔色を失わせるような出来事が「敬語業界」に起きている――そう指摘するのが、この本なのである。著者の梶原さんは文化放送を経て、現在はフリーアナウンサーとしてテレビなどで活躍する、いわば「言葉遣いのプロ」だ。梶原さんはこう述べている。
<「『とんでもございません』はとんでもない!」と厳しく指摘している敬語本も売られているほどです。しかし、「指針」では「とんでもございません」を正解としています。これまでの「正しい敬語」を信じていた人からすれば、信じられない国の方針転換です。裏切りです>