ムルソーは、殺人の理由を問われて、太陽のせいだ、と述べる。ムルソーのこの言葉は、一方で、殺意のなかったことの表明にも受け取れる、と同時に他方では、ふてぶてしいまでの反省のなさにも取れる。そして判事はそのムルソーの言葉に、投げやりと挑発を受け取る。そこで判事は判断する、ムルソーは危険なまでに人間嫌いであり、更正は不可能だ。ムルソーに、死刑の判決が下される。
死を待つ日々のなかでムルソーは考える、人生は生きるに値しない、三十歳で死のうが、七十歳で死のうが、たいした違いはない。小説の終わりで、ムルソーは、牧師に、これまでになく激しく怒りをぶちまける、宗教の欺瞞を告発するように。ムルソーは、この人間の世界を構成している、あらゆる〈意味〉を嘲笑する、自分が誰にも理解されないことをむしろ歓迎するように。
エドワード・サイード(1935年 - 2003年)は、 カミュを批判する。「『異邦人』に出てくる主人公ムルソーはアラブ人を殺しますが、カミュはこのアラブ人に名前も素性も与えていません。小説の終わりの方で、ムルソーが裁判にかけられる場面の着想は、完全に思想的フィクションです。植民地時代のアルジェリアで、アラブ人を殺したかどで裁判にかけられたフランス人など存在しません。これは偽りです。かれは虚構を構築するのです。」(『ペンと剣』クレイン1998)
ちなみにサイードはパレスチナ人のキリスト教徒であり、1935年エルサレムに生まれ、カイロに移り、そしてアメリカに渡って文学研究者になった人物である。ヨーロッパの文学および音楽に深い教養と趣味を持つ人物で、〈オリエンタリズム〉という用語をもちいて、西洋が東洋になした文化的収奪を、近代の負の遺産として、問題にした。
サイードのこの批判は興味深い、固有名を入れ替えれば、かんたんにデュラスの批判にもなる。そう、「『愛人 ラマン』の主人公は、中国人の愛人になりますが、デュラスはこの中国人に名前も素性も与えていません」というように・・・。もっとも正確に言えば、デュラスはかれに、彼女を生涯愛し続ける華僑の優しい紳士、という素性を与えてはいるけれど。(ただし、それであってなお、デュラスが生涯書いたテクストを横断的に読んでゆけば、やはりデュラスにとってアジア人とのセックスが生涯のトラウマ体験であることにかわりはないことがわかる)。もっとも、サイードはデュラスについてはなにも語っていないようだけれど。
サイードは一方でカミュを批判し、他方でジュネを賞賛する。「ジュネは、実際にフランス人としてのアイデンティティを超え、『屏風』ではアルジェリア人、遺作『恋する虜』ではパレスチナ人と同一化することのできた人間でした。これは、自己流刑と、他者の故郷への帰化という、注目すべき行為です」(『権力、政治、文化』太田出版 2007年刊)ここでサイードはむしろ倫理を語っている、汝の〈他者〉を愛しなさい。
だが、サイードの発言の見かけの凡庸さに騙されてはならない。サイードは『異邦人』を批判するにあたって、あえて「文学的でない」「凡庸な」常識を作品にぶつけることによって、いいかげんもうそろそろカミュの『異邦人』を神格化するのはやめようじゃないか、と言っている。むしろ、サイードのカミュ批判は、いっけん非文学的に見えて、じつは、文学の意義とはなにか、その「文学性」なるものはなにを根拠に定義され、結果的に、なにを擁護しているのか、を問うているのだ。