たとえば『愛人 ラマン』では、主人公の少女には、兄がふたりいました。しかも「わたし」はその兄を殺してやりたいと語っていました、(ふたりの兄のどちらかはわからないけれど)。
他方、こちらの『太平洋の防波堤』におけるヒロインの兄ジョセフは、野性味あふれるかっこいい人物として描かれ、シュザンヌとジョセフはおたがいになみなみならない好意と信頼で結ばれています。すなわち『太平洋の防波堤』では、一方で、「おたがいを無限に愛する兄と妹」という物語が描かれ、他方で、「母親の兄への溺愛」が描かれ、ある意味それは、三角関係の物語といえるでしょう。しかもシュザンヌが母親を見る視線には、それこそ呪詛のような色彩があって。
そう、人生にしくじり、生活力がなく、怒鳴ってばかりいる母親への、反感。そしてその母親への反感から、シュザンヌは愛人になってゆく。しかもシュザンヌが愛人になってゆく移行について、(野性味あふれる遊び人である)兄ジョセフは、共感さえ感じています、まるで自分もまた彼女の共犯者であるかのように。こうして見てゆくと、この『太平洋の防波堤』には、むしろコクトーの『恐るべき子供たち』に通じるイノセントの称揚と、のろまな大人への反抗という主題こそが、奇妙な三角関係の内側で、息づいていることがわかる。こうなるともうふたつの作品は、まったく違った主題をあつかっていることがわかります。
この2作品は、いずれも題材はヴェトナムですごした著者の少女時代であり、主人公の少女がとある男の愛人になる、という同じモティーフが用いられています。
一方は1950年に出版された初期の代表作、他方は1984年に出版された後期の代表作、執筆時期に三十四年の隔たりがあって。このふたつの(いっけん類似した設定のなかで語られる異なった)作品のあいだに、デュラスは三十四年の人生を生き、三十五冊の作品を発表しています。さて、こうなるとここから先がくせものなんだ。そのふたつの作品の異なりが、いったいなにに由来するものなのか、どんな意味をもつのか、関心をもたずにはいられなくなる。
特記すべきは、この『太平洋の防波堤』では、相手の愛人が、ムシュウ・ジョーとして描かれ、植民地のやりて企業家の二代目、ぼんくらで無邪気なフランス白人男として描かれていること。え、華僑じゃなかったの!?? と、『愛人』を先に読んでしまった読者は、びっくりしてしまう。これはいったいどういうことだろう? デュラスの実人生における愛人は、フランス白人だったの? それとも華僑の紳士だったの? 読者は、にわかにうろたえてしまう。さらに驚くべきことは、先ごろ翻訳出版されたデュラスの作家デビュー前後のノート四冊をまとめた『デュラスの戦争ノート』に収録された「インドシナにおける子供時代と青年時代」と題された彼女の日記に拠ると、十五歳足らずのデュラスは、なんとレオという名のヴェトナム人青年と(!)関係し、そのレオから奪われたはじめてのくちづけキスを、彼女はなんともおぞましそうに、書いています。
ちなみにこの現地人レオはパリから帰ってきたばかりの男でフランス語を話します、ちなみに顔には天然痘のあとがあり、醜い。対するデュラスは生娘らしいこまっしゃくれたプライドをそなえているものの、彼女はヴェトナム生まれのヴェトナム育ちでフランスへ行ったことがなく、レオに対するプライドに、微妙な屈折を感じてもいる。
なお、デュラスはエッセイ集『アウトサイド』(晶文社刊)のなかで、インドシナで過ごした、裸足の少女時代を語っていて、そこでは母はフランス的な果実として林檎を食べさせようとしたけれど、彼女はマンゴーに愛着を持ち、母が肉を食べさせようとしても、むしろニョクマムで味つけられた淡水魚を好み、同様にパンよりは米を好み、メコン河の行商人の野菜スープを好んだ、いかにもヴェトナム的味覚への愛着を書いています。ただしそのヴェトナムの食の好みと、ヴェトナム人への微妙な(ただしあからさまな)嫌悪は、デュラスのなかで平然と両立していて。また、『デュラスの戦争ノート』の話に戻せば、次に驚かされるのは、少女時代のデュラスが、わけもなく、母と兄からひんぱんに殴られていること。
このような日記の記述を知るにおよんで、読者はいったいどんな感想をもてばいいでしょう? フロイトを、あるいはラカンを召還し、〈抑圧された記憶〉について考察を展開すべきでしょうか? もちろんそれも読者のできるひとつの選択ではあるでしょう、しかしここでマルグリット・デュラスの読者ならば、別のなにかに気づくこともできる。