そもそもテクストというものは、書き手の実人生としたしく肌をふれあい、愛をかわしているかにみえながら、それであってなお、テクストと実人生は無限にへだてられた別次元を生きてもいて、しかもその無限の距離のあいだで、不可視の、不透明な、相互関係がある。ただし、その関係を分節化することは永遠にできない。マルグリット・デュラスはおそらくどんな書き手よりもはっきりと、人が文章をつづることが不可避的に引き寄せてしまうフィクション、真偽の不明、決定不可能性をきわめてよく理解している。だからこそ同じテーマ、同じモティーフでありながらさまざまの作品のあいだに無限のヴァリアントを彼女はつくってゆく。そう、彼女は、同じ題材をもちいてある作品を write し、別の作品で rewrite し、さらにまた違った作品で rewrite し、その複数のテクストのあいだに生まれる差異をおのずと知らしめてゆく。こうして生まれる差異は、けっして、彼女の愛人の国籍にかぎらず、むしろ彼女の執着対象のすべてが、re-write されるたび、微妙な差異をともなって現前化される。
喩えて言えば、デュラスは、ミュージシャンが同じトラックから、さまざまなリミックス・エディションをつくりあげ、音楽をじざいに変化させてゆくように。
いいえ、その比喩は正確ではなく、むしろこんなふうに言うことができるでしょう。記述は微笑みを描くことができる、泣き顔を描くことも。くちづけも、頬を叩く瞬間も、優しい愛撫も、激しい性行為も、描くことができる。では、記述は、愛と悲しみを描くことはできるだろうか? もしもこの問いに、できる、と即座に答えたならば、その瞬間に、記述はメロドラマに堕してゆくでしょう。(そう、いかがわしさ、真偽の不明、決定不可能性を不問に伏した愉しみの形態、メロドラマに)。むしろ記述にとって、愛も悲しみも、ほんらい〈語りえない〉と考えること、それこそが書くことの倫理なのだ。そう、記述と精神のあいだには、まずさいしょに決定的な齟齬があって。それを前提にデュラスは、その〈語りえない事柄〉をめぐって、事物の表面をカメラでえんえん舐めてゆく記述をつづけながら、その事物の表面を現前化する記述がそのまま、登場人物の内面を映しだしてゆくような、すなわち、外面の描写がそのまま内面の描写であるような、記述のアクロバットを達成させてゆく。文学のおそるべき達成がここにある。
しかもデュラスは、作品から作品へと何度となく re-writeし、re-write し、re-write し続けることをとおして、そのたびに新たなヴァリアントを産出し、いつしか読者の視野に、語りえないもの、記述しえないものの相貌を、浮かびあがらせようとする。それはもはや、「さぁ、とけるものならといてごらんなさい、わたしの人生という絡み合った謎を」といった体の誘惑とは、無限の距離にへだたった、きわめてインテンシヴな文学的体験にほかならない。そしていつしか、人生の時間、人生の体験は、けっして作品に定着できるものではない、それにもかかわらず書く、書きつづける、というようなデュラスの認識が感じられる。さて、この認識をうけとったとき、文学はどう変わるだろう?
『愛人 ラマン』を発表した後、彼女は、(いまおもえば十二年となった)さいごの季節を生きた後、1996年、その肉体を消滅させました、けっして多くはない、むしろ限定されたテーマをめぐる無限のヴァリアントとしての、かんたんにはとうてい読みきれないほどあまりにたくさんの文章を(そしてフィルムを)のこして。マルグリット・デュラスを読むこと。この稀有な散文、文学の奇跡を、その世界の内側で体験すること。
■マルグリット・デュラス(Marguerite Duras 1914年-1996年)
1914年 フランス領インドシナ(現ヴェトナム)のザー・ディン Gia-Dinhに生まれる(サイゴンのそばである)。本名は、マルグリット・ドナディユー。1921年 父親、死亡。 1932年 フランスへ。大学で法学を専攻。1939年 ロベール・アンテルムと結婚。 1941年 処女作『あつかましき人々』を執筆。 1942年 初めての子供を出産後に失う。サイゴンで兄のポールが病死。 1943年 『太平洋の防波堤』の草稿を書き始める。 1950年 『太平洋の防波堤』出版。 1964年 『ロル・V・シュタインの歓喜』出版。 1966年~1980年 執筆のかたわら、映画制作を行う。 1970年 『ユダヤ人の家』出版。 1980年 デュラスに会ってから自殺しようと決意した男、ヤン・アンドレアが彼女と長時間対談し、そのまま彼女の家に住みつき、彼女の生涯最後の伴侶となる。 1984年 『愛人 ラマン』出版。 1996年 『これで、おしまい』出版。 1996年 3月3日、死亡。
なお、このほか著作は50冊近くにのぼり、小説が中心とは言え、戯曲もそれなりの数があり、作品の大半は日本語版が出版されています。他方、デュラスは映画も製作・監督しており、そちらは日本ではほぼ公開されていません。ちなみにゴダールは、映像作家としてのデュラスに共感と賛辞を捧げています。