「男はドレスを剥ぎ取り、それを投げる。白い木綿のちいさなパンティを剥ぎ取り、裸にした娘をベッドまで抱えてゆく。(…)娘は、男の服を脱がせ始める。眼を閉じて、それをやる。ゆっくりと。男は娘をたすけるしぐさをしようとする。娘は、動かないで、と男に言う。あたしにやらせて。あたしがやりたいの。娘はそれをする。男の服を脱がせる。(…)皮膚は華奢なまでにすべらかだ。身体。身体は痩せていて、力強さなどすこしも感じられない。筋肉がない、病気だったのかしら、治りかけなのかしら、ひげがなく、セックス以外には男らしいところがない、とてもよわよわしく、ちょっとした侮辱にも苦しみの声をあげるように見える。彼女は男の顔を見ない。さわる。セックスの、皮膚のすべらかさにさわる、金色を、未知の新しさを愛撫する。男はうめく、泣く、男はおぞましい愛のなかにいる。」
彼女の快楽が描かれる、「身体の上をあちこちキスされると泣けてくる。まるでそのキスで心が休まるかのようだ」そしてここでも対比として持ち出されるのは母親である、「母親は悦楽を知らなかった。」母親は、彼女が華僑の愛人になったことをひそかにみとめている。ひそかにみとめながらも、母親の心はプライドが邪魔をして、わりきれない感情があって。母親は言う、「シナの百万長者なんていうひどいクズにね、なにさ、若い銀行家気取りでダイヤの指輪なんかはめて」そう言って彼女はさめざめと、泣く。なんとも出口のない物語がここにある。主人公のフランス少女は、母親に敵愾心をもち、兄を殺したいとおもっているけれど、その殺意がどこまで本気かはわからない。彼女は、作家になることだけに救いを求めているけれど、母親はそれを子供じみた考えとあざ笑う。彼女に、心をうちあける友達はいない。植民地のなかのよるべないフランス人、そのむだに高いプライドとそこなしの孤独。フランス領、ヴェトナム、「あの国には季節の違いがない、いつも同じ、ひとつの暑い、季節。ここには春はない、季節のよみがえりはない。」
やがて彼女はフランスへ旅立ち、長い長い人生の時がたち、気がつけばいまや彼女は人生の暮れ方にいる。それでも彼女は煩悶をつづけています。そう、彼女は人生をあらかた生ききってしまったあともなお、思春期の自分が植民地で過ごした季節を、自分をかたちづくっていっただろうさまざまな出来事を、彼女は飽くことなく再考して、再考して、やまない。かつての中国人の愛人からの自分の美貌への賛辞だけが、わずかに彼女をなぐさめていて。それはほとんどひとつの病ということもできるだろう。ただし、おそらくはその病から生まれた散文の、なんと典雅なことだろう。その散文は、いっけん感情の、自由なほとばしりのようにみえる。
けれども、ていねいに読んでゆくと、その、感情の、自由連想のようにみえもする記述は、その感情もまた物質のようにあつかわんとしていて、しかもその感情や心の動きは、記憶のかなたにある事物の表面をカメラでえんえん舐めてゆくような記述と、きわめてインテンシヴな拮抗関係をもっていて、やがて記述は、事物の表面を現前化する記述がそのまま、登場人物の内面を映し出してゆくような、すなわち、外面の描写がそのまま内面の描写であるような、水準にたっしてゆく。まさに文学の奇跡がここにある。この小説『愛人 ラマン』は、マルグリット・デュラスの1984年、すなわち七十歳のときの作品である。
つぎに1950年に出版された初期の代表作『太平洋の防波堤』を読んでゆきましょう。
『愛人 ラマン』を先に読んだ読者が『太平洋の防波堤』を読むと、さいしょはすこし既視感があるでしょう。『太平洋の防波堤』では、少女はシュザンヌ、そして兄はジョセフと名づけられているなど違いもあるものの、たしかに類似点は多い。舞台も同じくフランス領インドシナ。主人公は少女で、兄がいます。母親は世間知らずで、なけなしの大金をたたいたにもかかわらず、ここでもやはり「塩漬けの土地」と呼ばれるろくでもない土地をあてがわされています。
もっとも、『太平洋の防波堤』では、だまされて塩漬けの土地をつかまされた母親が、怒りに燃え、何百人もの農夫の協力を得て、防波堤を築くことに拠って、なんとか事態を改善しようと闘うエピドードも描かれていて。しかしせっかく築きあげた防波堤にほっとしたのもつかのま、夏に高潮に襲われ、防波堤は、あっというまに崩壊してしまう。その出口のない絶望のなかで、主人公の娘は、愛人になることを決心する。ここもまた同じですね。ただし、それらの類似はむしろ主題の違いをきわだたせることにこそ貢献していて…。