そしてケルアックのまわりの、小説家ウィリアム・バロウズ、詩人のグレゴリー・コーソ、写真家のロバート・フランクが注目された。後に、モロッコつながりで、ポール・ボウルズもかれらの人間関係のなかに現れる。かれらは、「郊外にある、芝生の庭とプールのある家、自家用車2台」とは、まったく違った価値観を提唱した。
そしてアメリカは、ビート・ジェネレーションという、文学ギャングの存在に注目するようになる。
そう、ビートニクたちは、社会の一部の無意識と共鳴し、社会の価値観の一部を、確実に変えていった。
そしてケルアックは、小説界のスターになった。
だが、喝采の日々は短かった。
ビートは社会現象として話題にされ、商業主義に利用され、青少年の非行と結びつけられ、文学的価値そのものを疑われ、ビートは消費され尽され、忘れられていった。いや、正確に言えば、それであってなお、ケルアックの影響はロックンロールや映画のなかに脈々と継承されていったのだが・・・。
いずれにせよ、『地下街の人々』の酷評以降、取り残されたかれは、それでもこつこつ作品を発表し続けた。かれは西洋文化に東洋文化を接続させようとした、「禅」と「悟り」をキーワードに。それは世界を変える大いなる変革であるはずだった。
だが、ヒッチハイカーたちがサンフランシスコやカトマンドゥーになだれ込み、ビートルズがインドにはまっていた頃、ケルアックはアルコール依存症で健康を害し、友人との親交も途絶え孤独な日々を暮らしていた。
そして(その夏にウッドストック・ロックフェスティヴァルが行われ、ロックンロールの絶頂期として記憶される1969年の)、10月、まだ夏のようなフロリダの光のなかで、ケルアックの心臓は鼓動を止めた。47歳だった。
遺体は、故郷ローウェルに送られ、ギンズバーグらに見守られながら、埋葬された。
ジャック・ケルアックは、文学をセクシーなものに一変させただろうか? それとも、ケルアックは、文学史がいっしゅんかかった一過性の熱病だったろうか? その答えは人それぞれに違うだろう。
おれはおもう、ケルアックはたしかに文学のなにかを変えた、ケルアックは生きている、(『オン・ザ・ロード』のレビューで書いたが)アメリカの(つまりは世界中の)ポップカルチャーのなかに。そしてもちろんかれの小説『オン・ザ・ロード』のなかに。
※本書の原題は『エンジェルヘッディド・ヒップスター』。本書の魅力は、なによりも膨大な情報量にある。実は、原書は訳書の分量に比して1/3くらいの量だそうで、そこに訳者の室矢さんが、原書出版社の許可をとって、ビート関連のCDやビデオ、文献などから文章を加筆して、本文に流し込んでいったそうな。(訳書を読んだ限りでは、どこまでが原著本文で、どこからが訳者加筆部分なのかはわからない)。そしてエピソード群に脈絡を見出すのは、読者の仕事として残されている。