もちろん、機はすっかり熟していました。『1Q84』があれほどの現象になり、ハヤカワepi文庫で、高橋和久氏による新訳の『一九八四年』(本サイト、堀和世さんによるレビューを参照)が出たのですから、さあ、もう一声! というわけで、やってくれました、出してくれました。平凡社ライブラリーから『オーウェル評論集』が新装版としてめでたく「復刊」となったわけです。
ジョージ・オーウェルとは、いったい何者か。オーウェルのプロフィールはとてもカンタンに調べることができますが、ざっとご紹介しましょう。
1903年、イギリス・阿片局の役人だったお父さんの赴任地・インドのベンガル州で生まれています。奨学金のおかげで名門のイートン校に学び、19歳から5年間は、大英帝国警察官として、ビルマ(現ミャンマー)に赴任します。「後進国」で威圧的にふるまうヨーロッパの白人警官、という立ち位置は、オーウェルにとってたいへんに厳しいもので、この時の経験が、後の作家、社会主義者、ジャーナリストとしてのオーウェルの基盤を作っていると思われます。つまり、弱者や貧者に向けるまなざし、全体主義への対抗、イデオロギーではなく、自らの観察眼によって、目の前で起きている物事を捉える態度、などです。
警官を辞めたあとは、パリとロンドンで放浪生活を送り、貧乏のどん底も経験して、最初の著作『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)を著します。1936年にはスペインの内戦に共和国側の民兵として参加、喉にあやうく致命傷になりそうな傷を負ったりしています。この時の体験をもとに綴ったのが『カタロニア賛歌』で、『1984年』『動物農場』と並んで、一般に最もよく知られたオーウェルの著作といっていいと思います。
その後はBBCでラジオ番組を作ったり、雑誌の編集をしたりして、作家としての名声もどんどん上がっていきます。しかし晩年はスコットランドのジュラ島に移り住んでずっと籠もったままの生活を送り、1950年に結核で亡くなりました。46年という短い生涯でした。
オーウェルはしばしば、社会主義者とか、あるいはヒューマニストなどと言われたりします。その呼称はぜんぜん間違っていないと思いますが、しかし今日、この尊称はむしろ侮蔑的な意味を帯びています。「社会主義者」といえば旧弊な左翼みたいだし、「ヒューマニスト」だなんて、なんだか現実離れした偽善者みたい。まあ、そんな感じでしょう。
ところがオーウェルの書いたものを少しでも読んでみれば、なるほどこの人は言葉の真の意味で社会主義者でヒューマニストかもしれないが、それらの呼称がイメージする、古くさくて嘘くさいものとはおよそかけ離れている人だということがわかります。その知性、行動力、感受性、ユーモア、パッション、すべてにおいて、この人は本物だと思います。
【まず第一に感覚的な記憶――いろいろな音、におい、物の外観。
不思議なことに、スペイン戦争でその後経験したどんなことよりももっともあざやかに思い出されるのは、前線に送り出される前にいわゆる訓練なるものを受けた一週間のことである――バルセロナの巨大な騎兵隊兵舎、そのすきま風の吹き込む廏舎と石を敷いた中庭、顔を洗うときに使うポンプの氷のような冷たさ、ぶどう酒のおかげでなんとかがまんができた不潔な食事、薪を割っているズボンをはいた婦人民兵、そして早朝の点呼、その時はマヌエル・ゴンザレス、ペドロ・アギラール、ラモン・フェネリョーサ、ロケ・バリャステル、ハイメ・ドメネック、セバスチアン・ビルトロン、ラモン・ヌーボ・ボスクといった響きのいいスペイン名のなかで、私の散文的な名は何かこっけいな狂言のような感じだった。】
これは、「スペイン戦争回顧」というエッセイの冒頭部分です。前線より訓練時の記憶が喚起されるところにリアリティを感じます。スペイン戦争を回顧するにあたって、まずオーウェルはこうして五感を開放します。長く引用したのはなんといっても、ここにあらわれるスペイン・ネームの見事な音楽を聴いてほしいから。「私の散文的な名」とは、おそらく、「ジョージ・オーウェル」ではなく、本名の「エリック・アーサー・ブレア」のことでしょう。なるほど、このようにオーウェル自身によって書かれると、それはいかにも「散文的」に思えます。
ジョージ・オーウェルによる二十世紀世界文学の最高傑作『一九八四年 新訳版』の書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『一九八四年 新訳版』 レビュワー/堀和世 書評を読む