忠市は今では業種として聞くことがなくなった荒物屋「丸亀屋」の跡取り息子として生まれた。新制の商業高校を卒業後、修業も兼ねて荒物問屋で住み込みの従業員として働いた。昔でいう丁稚奉公に近い。多くを望まず、だが時折わきあがってくる情動に似たさまざまな「欲」に戸惑い、焦りながらいなしながら人並みには手に入れ、それによって人心地がついた。
勧められた初めての見合いで妻をめとり、病で倒れた父親に代わって丸亀屋を継ぎ、母親と妻との嫁姑問題におろおろし……という「60年」を伴走してくると、彼が探している「何か」が必ず腑に落ちてくるかといえば、保証はできない。ただそうやって忠市の人生にどっぷり浸った後で、第3章に入って視座を再び「今」に置くと、相変わらずゴミ屋敷としか見ない周辺住民に対し、主に代わって「この家には『丸亀屋』という名前がある」と大声を上げたくなる。
いつの間にか、読者(すべてではないと思うが)は間に引かれた線を乗り越え、忠市のほうに立ち位置があることに気づく。線のあっち側に、屋敷の向かいに住む主婦であるところの「吉田夫人の四十二歳になった美咲」はいる。前章の初めまで同じ側にいたのだから、彼女の「憎悪と悲しみ」は分かる。だが、それはひどく薄っぺらな、取るに足らない感情のように思えてくる。
錯覚には違いない。物事を二つに分ける線が引かれているとき、誰も「あっち側」に立つことはできない。立っているほうが常に「こっち側」になる。昨日や明日は確実に存在するにもかかわらず、昨日や明日を現実に生きることができないのと似ている。読者はあっち側に立つ「吉田夫人の四十二歳になった美咲」の正体を、まるで知らなかったことに気づく。あなたは一体誰で、なぜこの街にやってきたのか、と問い詰めたい気持ちになる。読者は、いや少なくとも私は、自分の思考のいい加減さに虚をつかれる思いがする。
敵と味方は、例えば戦場で戦う一人一人の兵士が決めるのではない。双方を分けるのは、国境(あるいは前線)という線である。敵と味方の対峙は、戦争を企んだ戦場にはいない者たちには意味があるが、兵士にとっては無意味である。戦う意味が分からない兵士の体をつき動かすエネルギーの一つに「憎悪」があり、先に述べた通り、憎悪は敵の正体を知らないほうが強くなる。
なぜ知らない人間を憎むことができるのだろうか。普通に考えたらおかしなことだ。作者によれば、憎悪の材料には「漠とした悲しみ」が使われることもあるはずだった。憎悪を合成するには敵という触媒を必要とするが、もともとの元素、分子、あるいは前駆体はすべて「こっち側」にある。つまり、真の意味での敵はわが身の中に存在する。憎悪とは自己目的的(分かりやすく言えばマッチポンプ)であり、そう考えると「敵と味方」というか、それを生み出すために引かれた線は、とたんにぼやけてくる。
私たちは、すべての「線」を疑ってかからなければならない。国境、言語、年齢、性別、学歴、法律、ルール、マナー、常識、世間の空気、正社員と非正規社員の違い、食わず嫌いのサンマの骨……。そしてまた「ゴミ」と「ゴミでないもの」の違いは自明かといえば、決してそんなことはないのである。
少しはばかられるが、手近な話をする。私が勤めている会社の職場フロアを掃除してくれるのは出入りの清掃業者の人たちだ。その中にあるとき、私をはじめ職場同僚の誰からも恐れられているおじさんがいた。おじさんにかかると、床に置いたままにしているものなら、仕事で使う新刊本でも資料のファイルでも何でも「ゴミ」として持っていかれてしまうのだ。
おじさんの業務は早朝だから、私たちは前夜帰宅するときに、周到にデスク周りを見回し、必要なものを床に放置していないか気をつけた。何度か文句を言ったこともあるが、なかなか改まらない。要するに仕事熱心なのだろう。おじさんにとっては、ゴミを取り残さないことが仕事上のモラルなのである。部外者であるおじさんは、床に置いてあるものの要不要を判断できない。限られた時間の中で仕事に忠実であろうとすれば、「すべて」を捨てるしかないのだ。
ところが、おじさんが決して持っていかないものが一つだけあった。それはA4のコピー用紙の空き箱で、ところどころ破れ、コーヒーか何かがこぼれて染みになっている。真っ先に片づけられてもおかしくない薄汚れた段ボールの箱だったが、おじさんが手をつけなかったのは、その側面にマジックインクの乱暴な字で「ゴミ箱」と書かれていたからだ。
どんなにきたなく、ぼろぼろになり果てたとしても、ゴミ箱はゴミではない。おじさんはすでに朽ちたような段ボール箱の中のゴミを大きな袋にあけると、それを元にあったところへきちんと戻す。箱の中には、替え芯を買ってきたらまだまだ使えるボールペンが投げ込まれていることもある。ゴミとして捨てられたもののほうが、しばしばゴミ箱自身より価値が高かったりする。が、それはおじさんには関係がない。