というわけで、宗旨替えということではないのだが、この原稿を書いていた休日の午後、思い立って走ってみることにした。近所で何か騒ぎがあったらとりあえずシューズを履いて駆けつける「野次馬ラン」とか、公衆浴場マップ片手の「銭湯のはしごラン」とか、衿野さんがやたら♪ランランと楽しそうに書いているので、もしかしたら昔と違って、今は道路のアスファルトが改良されてスイスイ走れるようになっているのではないか、また私自身も校内マラソンの苦行から三十年余を経て「走れる体質」に変わっているのではないか、と少しは期待するところがあったのだ。そういえばここ数年、その手の本を読んで「ナンバ歩き」(同側の腕と脚を一緒に振り出す歩き方)や体幹を意識した効率的な重心移動を研究してきた私でもあるのだ。
けっ、そんな甘い話、あるわけねえじゃねえか。自宅から100メートル走って大通りにぶつかり、いつもなら必ず引っかかる歩行者用信号がその日その時に限って「青」だったのを非常にうらめしく思った。ああ、この感覚は何かに似ている。そうだ、高校生の頃、何度か隠れて飲んでみたビールの味。ごくごくっとのどを鳴らしてみせるテレビのコマーシャルに、そんなにうまいのなら一度飲んでみようじゃないかと勇躍し、その苦さまずさに毎度閉口し、ああまただまされたと思うのだった。だから、衿野さんの「ファンラン道」は今の私にとっては、さしずめ昔のキリンビール(大瓶)である。
しかし同時に、そのとき恐る恐る舌で触れてみたビールほどうまいビールもなかったと、私は自信を持って言えるのだ。今は舌ものどもすっかりすれっからしになり、ビールの炭酸なんか屁みたいなものだ。要は「狎れた」ということなのだろうが、3、4日酒を飲まず非常に体調がいいときに、めったにしないがランチタイムに瓶ビールを1本取り、小ぶりのコップに注いで一口目、鼻先を近づけた瞬間に「昔のビール」のにおいをかぐことがある。が、文字通り瞬間に消え去る感覚で、捕まえておくことができない。
結局、私は昔、ビールに恋をしていたのだ。ビールは私より年上で、私をその気にさせては、結局はいつもこてんぱんに振った。ということは、2キロばかし走った(後半は走り歩き半々)後の、この膝外側の鈍い痛みは初恋のほろ苦さ、というやつではないのか(おいおい、書いていて恥ずかしくないか?)。
もっとも、正確には初恋というより、高校生の頃に告白されたが、顔がどうも不細工なので丁重にお断りした同級生が、20年後の同窓会で見違えるようないい女性になっていた、というのに近い。振った振られたと後生大事に覚えているのは男のほうで、女はいつも今を生きている。酔いに任せて「あのときは悪かった」などと口走る馬鹿は、「何のこと」と本気できょとんとされ、置いてきぼりを食らうしかない。
何が言いたいかといえば、校内マラソン大会と、銭湯のはしごランは「まるで別人」だということだ。昔はいろいろあったけれど、向こうが口を拭って知らぬ顔をしているのだから、こちらも根性論とかストイック至上主義とか過去のこだわりは捨てて、今を生きる。過去の関係をよすがにして、新しい恋は始められない。
私は、繰り返し現れる膝の痛みとのだまし合い、化かし合いを続けながら、走り始めた私自身を想像する。スタートは自宅の玄関、タイムは測らない、交差点の信号待ちは積極的にする、自転車を抜こうと思わない、途中バッティングセンターに寄って400円分(200円で25球)ほど打つ、暑さに耐えかねたら道端のコンビニに飛び込んで涼を取る。そして、帰りに駅北口にある生きつけの酒販店「K」でキリンビール(大瓶)を買うのだ。もしかしたら、ビールは私にいたずら心で昔の顔を見せてくれるかもしれない。
……なんて感じでテキトーに締めようと思ったのだが、そう簡単にはいかない。衿野さんいわく<ランナーといえば「冷たいビールを一気にあおる」というイメージがあるが、内臓を痛めつけるのではないか>。衿野さんはマラソン大会後の「内トレ」(内臓トレーニング=酒を飲むこと、だそうだ)を楽しみにする気持ちは人後に落ちないが、飲酒は帰宅してから、冷えたビールをゴクゴクと飲まない――ことなどを自らに課しているという。
太陽とその灼熱をため込んだアスファルトで両面焼きにされ、干物のようになってゴールにたどりつき、何よりも先に350ミリ缶のビールのプルトップを引きちぎって「ゴキュゴキュ、プハー」こそが、走る喜びだと信じ込んでいたが、それもまた根性論の燃えかすであったことに間違いはなく、ことほどさように校内マラソン竹やり特攻精神の呪縛から逃れるのは難しい。
「ランナーには、冷や(常温)かぬる燗が合うと私は信じている」と言い切るのは、根っからの「日本酒党」を自任する衿野さんである。なんでも日本酒に含まれるアミノ酸(=日本酒のうまみの素)が疲労回復に役立つのだという。
<質のよい日本酒は、温度が上がるにつれて、花が開いていくように味わいが変化する。たっぷり汗をかき、充実感や達成感を味わったあとは、味覚も鋭敏になっている。温度と味の変化を楽しむ絶好のチャンスである>
ファンランへの誘いは、のどをヒットする冷えたビールの快感ではなく、棘を丸めて舌を絡め取る日本酒の人肌である。どうも一筋縄ではいかないようだ。