五つ星作品といえば、平山夢明『ダイナー』をこの欄で採り上げるつもりだったが、先に酒井貞道氏が書いてしまったようである。うう、残念。しかし、私にも書かせてもらいたい。飴村行『粘膜蜥蜴』に匹敵する、傑作だと思うからだ。
だって、冒頭がまずいい。主人公のオオバカナコ(本名)は、カウボーイとディーディーというカップルの武装強盗に出来心で運転役としてつきあい、見事に失敗し捕まってしまう。杜撰な犯行計画だったわけだ。カウボーイは拷問死、カナコとディーディーはさんざん撲られた末に、山中で穴を掘らされることになる。もちろん、自分が埋められるための穴である。生存確率はほぼゼロ%。唯一の望みは誰かに身柄を買ってもらうことだが、すでに一回競りにかけられ、買い手なしで終了していた。したがって絶望なのである。だが土に埋められ、絶体絶命というところで、カナコは最後の賭けに出た。見所なしとして商品価値さえ認められてもらえなかったが、
「わたし、料理が得意なんです!」
「本当です! レシピさえあれば何でもできます! すごくおいしいのよ!」
なんだそりゃ、と思うでしょう。周囲の男たちも腹を抱えて大笑いだ。
ところが奇跡は起きたのである。買い手がついた。カナコを貰い受けることになったのは、ボンベロという男だ。彼はダイナーを経営している。といっても普通の食堂ではない。分厚い扉に守られた要塞のような場所で、店内ではボンベロが絶対のルールとして君臨する。それもそのはずで、ダイナーの客はプロの殺し屋だけだからだ。カナコの前にも何人ものウェイトレスが雇われてきたが、みんな「おもしろ半分に」殺されてしまった。一命を救われたカナコだが、彼女の運命は風前の灯なのだった。
このようにして、カナコの生き残るための闘いが始まるわけである。舞台がダイナーという閉鎖空間であるところに注目されたい。主人公は、狼の檻に投げこまれた子羊同然。最初は生き残るすべどころか、檻のルールさえ判らないわけである。そうした状況から、いかに力をつけて生き延びていくか、というのが前半部のテーマだ。
後半では、物語の様相が少しずつ変化していく。閉鎖空間の中にカナコとボンベロの二人きり。いわゆる「青い珊瑚礁」状態ですよ。最初は反目しあっていた二人の間に、少しずつ心が通い始めていく、というのは小説の常道だが、作者が巧いのはくだくだと会話を重ねず、「料理」という行為ですべてを代弁させているところだ。厨房が主舞台となる小説だけあって、この小説で出てくる食べ物はどれもみな実に旨そうである。客としてやってくる殺し屋たちにも、それぞれ食べ物がらみのエピソードがあるのだが、カナコとボンベロの間にも料理を通じて接点が生まれてくる。ここだけ取り出して読めば、料理恋愛小説なのである。舞台は血まみれだけど、胸を打つロマンスが展開されるのですね。
そしてもちろんアクションの要素もある。登場する殺し屋たちは全員なんらかの特殊能力の持ち主で、中には人体改造まで経験している奴もいる。間違いなく作者は、山田風太郎の忍法帖小説を意識しているはずだ。風太郎忍法帖ではゲームの駒のように忍者たちが扱われ、人命がおもしろいほど粗末に扱われた。戦争などの圧倒的な暴力を前にしたとき、人間は虫けらのように小さな存在にすぎなくなるということを示すためだ。平山も同様のことを登場人物に語らせている。おのれが戦場に生きていることを知らない人間は、それだけで無知という罪を犯しているのだと。こうした世界観によって蒙を啓かれるからこそ、カナコは強く逞しく成長していけるわけなのだ。読むと間違いなく強い気持ちになる。エンターテインメントの本流をいく作品というべきだろう。もちろん☆☆☆☆☆だ。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |
平山夢明『ダイナー』については、ほかの書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『ダイナー』 レビュワー/酒井貞道 書評を読む