藤田嗣治(1886〜1968)は、東京生まれの洋画家であるが、晩年にフランスの国籍を取り、カトリックに改宗した、という複雑な事情もある。1968年にスイスで亡くなったのだから、もう40年ほど経っている。そのあいだには、画業だけでなく、彼の生活、その生き方までもが紹介されるということもあった。藤田嗣治の波瀾万丈ともいえる生涯は、例えば、近藤史人の『藤田嗣治「異邦人」の生涯』や、雑誌ユリイカの藤田嗣治特集号などで、詳しく知ることができたのである。
画業の方では、2006年に東京国立近代美術館などで、大きな回顧展が開かれたので、さらに多くの藤田嗣治ファンが生まれたのではないか。そのときの図録を見ると、乳白色を基調にした華麗な存在感のある絵が並び、この画家がどこの国籍かなど問題ではなくなってしまう。作者の名前が消えてもその価値はびくともしない、そのような芸術だと思った。
本書『藤田嗣治 手しごとの家』は、画家、藤田嗣治の別の面を見事に紹介していて、楽しい一冊に仕上がっている。彼は身のまわりのものにちょっと手を加えることで、その周辺を藤田嗣治の世界に変えてしまう。それはあたかも彼の絵画のなかの世界のように思える。
第一部は、藤田の住んだ家について。残念ながら、日本での住居は、高田馬場のメキシコ風住宅も、麹町の和風邸宅も、江古田の借家の洋館も、戦災などのために、もう残っていないらしい。ただ最晩年に住んだ家は、「メゾン=アトリエ・フジタ」として一般公開もされたという。藤田嗣治がこの家を気に入っていたのは、晩年の代表作とも言われている「礼拝」という絵のなかに描き込まれていることでもわかる。また君代夫人は、この家が描かれたハガキ大の小品「ヴィリエ=ル=バクルの私たちの家」を、最後まで手放さなかったという。
藤田の作った家の模型(マケット)が二点紹介されているが、彼の好みが凝縮されているからだろうか実に魅力的だ。壁には自分の絵のミニチュアがかけられ、小さな椅子やテーブル、ベッドや暖炉が手作りされている。土門拳とロベール・ドアノーが藤田嗣治を撮った写真にも写っているマケットを見ていると、あまりの完成度に、彼の代表作のひとつだと言えるのではないか、と思った。
以前から私は、藤田嗣治の描く、女性や猫や自画像より、机の上にある、ハサミや眼鏡、パイプや時計、トランプや鍵などの小物を描いたものの方がずっと好きだった。近くに置いておけたらどんなに楽しいだろう、と勝手なことを想像したりもした。そのこともあって、実際の台所などの写真も興味深かった。なんでもない鍋や炊飯器なども、特別な一品に見えるのはどうしてだろう。どれもこれも藤田嗣治の眼を感じる。縫い物をしている藤田の自画像があるが、その絵においても、ボタンや糸や磁石がとてもかわいく描かれているのに注目した。
マケットでも発揮された藤田嗣治の器用な手は、もちろん額縁も自分で作っている。ブリキのレリーフを付けたものや、木製の額に彫刻を施したものがある。額は額で独立したもの、すなわち、ときが経てば絵を入れ替えたりするものだ。他には、絵画のモチーフと直接繋がっている額もあって、とても興味深い。藤田嗣治の大工道具も写真で紹介されているが、それらさえ美しくみえるのは何故だろう。
第四部は、写真を撮られる藤田嗣治と写真を撮る藤田嗣治。中山岩太が撮ったのは藤田のアトリエで、絵の前で絵筆を持っているものだ。その他、アンドレ・ケルテスもマン・レイも木村伊兵衛も、それぞれ藤田嗣治という人間に向き合ったいい写真を撮っている。一方、藤田が撮った写真もアマチュアとは思えないほどの腕前だ。この集英社新書はヴィジュアル版ということだが、写真や絵をふんだんに盛り込めるので、これから楽しい企画が出てくるのではないか。大いに期待できる。藤田嗣治で言えば、挿絵集とか装幀集などもヴィジュアル新書で見てみたい。
本書で最も貴重なのは、藤田が残した日記と、絵手紙、それにスクラップブックではないか。日記の全文を読める日は来るだろうか。絵手紙とスクラップブックの一部は本書で見ることができたが、そのわずかな断片でさえすばらしい。
私は、この林洋子の『藤田嗣治 手しごとの家』をワクワクしながら読み進み、読了したのだが、またすぐ読み返したくなった。著者は、「戦争画」に触れなかったのは、この本では、私的な「女性的」な側面こそ描きたかったからだと述べている。「戦争画」は彼の「男」としての公的な側面、使命だったという考えである。
藤田嗣治は、文章もよくした人で、『巴里の横顔』、『腕一本』、『随筆集 地を泳ぐ』という随筆集がある。残念ながら絶版なので、興味あるかたは、古本屋で探してほしい。そうすると展覧会の図録なども見つかるかも知れない。今読める藤田嗣治は、講談社文芸文庫の『腕一本/巴里の横顔』で、エッセイ選集になっている。この文庫も多くの人に読んでもらいたい一冊だ。