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憂鬱たち

性と憂鬱に希望を抱くしかない、疲れた日常の中で

金原ひとみ
文藝春秋小説] 国内
2009.09  版型:B6
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レビュワー/相川藍

「お手軽プリン(50円)」というのをコンビニで発見した。ちょっと待って! コンビニのプリンって、それ自体が<お手軽なデザート>という位置づけではなかったのか? 世の中、一体どこまで安く、お手軽になっていくのか?

産経ニュースによると、前回書かせてもらった『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)の刊行記念講義で、著者の2人は文化の大衆化、幼稚化に言及し、不況についてこんなことを言ったという。
「今どんな店に行っても(店員が)ニコニコしている。ビストロはマクドナルドじゃない。ニコニコするな、ものの値段を下げるなといいたい」(菊地)
「店に冷たくされるという大人の喜びが少なくなっているね」(大谷)

そうだ。世の中、笑いすぎだし、サービスのしすぎなのだ。
『憂鬱たち』というタイトルの金原ひとみの本は、そんな中で精彩を放って見えた。読書のお供をこの本に出てくるアイテムから選ぶなら、どうしようもなく絶望的な「マロンアンドパンプキンバニラクリームラテスモールサイズ」ではなく、どちらかといえば希望的な「ジントニックとバドワイザー」がいいなと思う。

前作の『星へ落ちる』は、盲目的な恋によって日常生活が本来の意味を失ってゆく、刹那的でピュアで残酷な恋愛小説だった。今回の『憂鬱たち』も、生活感の欠落した日常を描いているという点は似ているが、主人公は、前作よりも知的で不機嫌。つまり、それこそが<狂気寸前の憂鬱>という状態なわけだが、女は、本格的に恋に落ちさえしなければ、ぎりぎりの知性と希望を保つことができるのだというふうにも言えるだろう。<発情期たち>というタイトルに変えてもいいくらい、過剰な妄想が炸裂する短編集だ。

収録されているのは『デリラ』『ミンク』『デンマ』『マンボ』『ピアス』『ゼイリ』『ジビカ』の7編。「私」はいつも、精神科に行きたいのに行けないという状況にあり、すべての短編に「カイズさん」という若くない男と「ウツイくん」という若い男が登場する。

ショップ店員、タクシー運転手、警備員、税理士、医師など、日々すれ違う社会的な仮面をかぶった人々への執拗な妄想と神経症的なバトルは、それだけで圧倒的に面白い。彼らの意外な言動によって引き出される「私」の新たな反応は、刻々と変化する力関係のスリルに満ち、コミュニケーションがもたらす危険な喜びの本質に迫る。たとえば『ミンク』には、若者向けブランドショップにおける、ありふれたお買い物の光景が描かれているのだが、お買い物好きであれば、こんな部分にうっかり共感してしまうのではないだろうか?

「諦めかけていたそのミンクに触れた瞬間やっぱり毛皮はミンクしかないと確信した。体中に電流が走るようなときめきを感じた。私はこのミンクと恋に落ちてしまったのかもしれない。買ってしまう予感に胸が震える。触れ合った瞬間、私の精神とそのコートに使われている生前のミンクたちの精神は、異様なほどにシンクロしたのだ。はっとする。きっと、このミンクたちには親がいないのだ。私も両親共働きの家庭に生まれ、小学校に上がる頃には父親が家を出て行き、母子家庭の貧乏暮らしを強いられてきた憎しみから十代半ばで家を飛び出してしまった。きっと、養殖されたミンクたちは父親の顔も知らないのだろう。そうきっと、私たちは父の愛を知らないのだ! 父よ! そして私たちを形作った精子たちよ! 私たちには仲間ができた! もうあなたを憎まない! いや、私たちは元々憎んでなどいなかったに違いない! 『お客さあん』 ミンクとのシンクロを邪魔された私は、苛立ちを覚えながら振り返った」

他方、『マンボ』での「私」は、目に入る全ての男に性的妄想を抱き、付き合い始めて3年になる彼氏のそばに寝そべって天井を見上げれば「今日セックスした男の数が大体五十人程度であった事」などを思い出す。

「制服を着た警備員が歩いているのが見えた。その時私は、その警備員に持ち物検査をされ、体中をまさぐられ、裸にされ肛門の中膣の中を指でさぐられ、喉の奥まで性器で調べられた挙げ句、口に精液をふくんだまま服や持ち物と一緒に警備室から放り出され、剥き出しの尻で床の冷たさを感じた瞬間ふっと口元が歪み唇の端から警備員の精液が一筋垂れる所を一瞬にして想像した」

妄想の完成度の高さに、思わず笑ってしまいそうになるが、しかし本格的には笑えない。「起こっている現象だけを見れば、そんなに珍妙な事は起こっていない」とか「大の大人の男が悲鳴をあげながらちまちまと小さなボタンを押し続ける、それは缶コーヒーを買おうとして自販機のボタンを押したらコーラが出てきて、怒って管理会社に電話をして苦情を言っているような卑小さと通じるような気がするのは私だけだろうか」なんて冷静なことが随所に書いてあるからだ。面白いことは書くけどお手軽なサービスはしませんよという隙のないタイトさが、金原ひとみの純文学度なのだと思う。笑ってる場合ではなく、まじで憂鬱たちを味方につけなくちゃ。現実は多分、もっとずっと、笑いながら平然と狂っているのだから。

個人的には『ミンク』と『ゼイリ』にシンクロした。『ミンク』はお買い物の話だが『ゼイリ』は確定申告の話。確定申告が、どうしてこんな素敵な妄想につながるのか。コンビニ店員のウツイくんの描写なんて、あまりにリアルで、危うく恋してしまいそうになる。恋愛って、なんてグロテスクで運命的な予感に満ちているんだろう。

この小説を読めば、主人公の「私」と同様、今日も精神科に行かずにすむのかもしれない。たぶん「私」は、本当は憂鬱なんかじゃないのだ。世の中に憂鬱がたりないだけなのだ。楽しすぎる幸せな日々なのに、あえて憂鬱を仕込み、装うなんて、最高に大人っぽい遊びではないだろうか。ジム・ジャームッシュの新作『リミッツ・オブ・コントロール』も、そんな映画だった。無表情な主人公がほんの少し表情を変えるだけで、世界が変化した。幸せは、満面の笑みや大袈裟な身振りから生まれるわけじゃないのだ。
ほんと、みんな最近、ニコニコしすぎだと思うから―

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憂鬱たち
金原ひとみ
文藝春秋小説] 国内
2009.09  版型:B6
価格:1,200円(税込)
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