『最後の冒険家』――このタイトルには、「冒険家」と紹介されることの多い著者・石川直樹の、「冒険」という言葉へのこだわりや敬意がこめられているに違いない。石川直樹は、7大陸最高峰の登頂や、北極点から南極点までを人力踏破した地球縦断プロジェクト「Pole to Pole」の参加などで知られるが、本書で彼はこう明言する。
「ぼくは自分のことを冒険家だとは思っていない。もっと断定的に言うならば、ぼくは冒険家になろうとも思っていないし、なりたいとも思わない。」
その理由を彼はこう説明する。自分は、「ある世界のなかで未知のフロンティアを開拓してきたわけではなく、まして前人未到の地に足を踏み入れたわけでもない。他人にもてはやされるような、いわゆる“冒険行”など、ぼくは一切おこなっていない」と。
石川はさらに続ける。地理上で空白の場所などなくなってしまった現在、未知の場所へ足を踏み入れるという意味での「地理上の冒険」はすでに不可能になった。現代の「冒険」は、「遠征の過酷さや道程での苦労」によって周囲から「冒険」と呼ばれるようになるものが中心であるが、「それは世界地図にまだ見ぬ空白があった時代におこなわれた、本当に未知のものを探求するための挑戦とはまったく別のものではないか」。「植村直己やラインホルト・メスナーの時代に、地理的な冒険は終わっている。そして、その瞬間、冒険家という存在自体がありえないものになったとぼくは思う」と、石川は述べるのだ。
では、その石川が「最後の冒険家」と呼ぶのは誰なのか。植村直己でも、メスナーでもない。それは熱気球に命を懸けた一人の男、神田道夫である。
1949年生まれの神田が、熱気球を始めたのは70年代後半のこと。その後彼は、高度世界記録、長距離世界記録、滞空時間世界記録と、さまざまな記録を打ち立ててきた。とはいえ、未知の場所を開拓したわけではないから、石川の定義からすれば彼もまた「冒険家」とは呼べないはずだ。しかし、それでもあえて、石川が神田を「冒険家」と呼んでいるところに、石川の、神田に注ぐ並々ならぬ深い想いと、徹底的に自らの方法を貫き実行していった神田に対する尊敬の念を感じるのである。そして私たちも、本書を読み進むにつれて理解できてくる。確かに神田は「最後の冒険家」だったのかもしれない、と。
2004年、石川は神田に誘われて、自作の熱気球による二人での太平洋横断を試みた。それが失敗に終わり、4年後の08年、今度は神田が一人で再挑戦する。神田はまだ暗い早朝5時に栃木県の空へと一人で舞い上がっていく。東へ、東へと順調に進み、出発翌日には日付変更線を越えてアメリカ領海に入ったことが知らされる。だが、その連絡を最後に、かれは忽然と姿を消してしまった。
石川がどのように神田と出会い、どうやって神田との命を懸けた熱気球の旅へと歩んでいったか、二度目にはどうして石川は同乗しなかったのか。そのひとつひとつの決断と葛藤の中に、石川直樹と神田道夫という二人の類まれなる行動者の生き方や哲学がつまっている。特に、石川がどうして二度目の同乗を拒否し、なぜ神田がひとりで行くことを決めたのかという点が、一般に「冒険家」と呼ばれる彼らが、命を懸けた行為とどのように対峙し、どうやってそれに挑むか、挑まないかを決めるのか、その境界線の引き方の違いを克明に分からせてくれて、興味深い。