彼らがその線引きについて決断するとき、私は自分の長期に渡った旅生活を思い出す。以前の、沢木耕太郎著『旅する力 深夜特急ノート』のレビューにも書いたのだが、私はつい最近まで、5年半ほどの間、海外各国で旅と定住を繰り返しながら暮らしていた。その自分の旅を石川や神田の行為の引き合いに出すのは全くもって場違いであることはもちろん承知している。ただ、私の旅ですらも、長年続けていると常に選択を迫られる。この先に踏み出してしまって大丈夫なのか、この人物を信じていいのだろうか、いまここでどんな行動をとるべきなのか。その判断一つが生と死を分けたかもしれない、と思う出来事はいくつかある。結果として無事に居られたことから、そのすべての判断が正しかったのかといえば、もちろんそうとはいえない。あのときさらにもう一歩踏み出していれば、さらに心躍らせる貴重な体験が出来ていたかもしれない、と思うことはあるのだ。しかしもちろん、その一歩を踏み出すことで命を落としていたかもしれない。それは永遠に分からない。
結局その境界線の引き方こそが、冒険家であれ、旅人であれ、その人物の経験によってのみ培われるまさにその人の個性なのである。生きること自体もそれは同じで、結局、どうやって行動の境界線を引いていくかで、人生はきまっていくといえる。だが、冒険には常に隣に死が顔を覗かせている。一度その判断を間違えて死の淵に落ちてしまえば、それでおしまいだ。死んでしまっては冒険にもならない。「生きて帰ってきてこそ冒険」、植村直己の言葉である。
石川と神田は、あるひとつの壮絶な経験をする中で、境界線の別の側に身を置くことになる。
「今までぼくは、どんな危険な状態に遭遇しても(もうだめだ)と思ったことは一度もない。そう思ったときが死んでしまうときだと考えていたからだ。しかし、このときばかりは(もうだめかもしれないな)と真剣に考えた。人間はそう簡単に死ぬもんじゃないと自負している自分こそ、こういうときにあっけなく死んでいくのかもしれない。」
このとき彼らが経験した事態の描写は圧巻だ。そしてこの出来事を機に、石川と神田が何を感じ、どう考えたか。さらに以降のふたりの歩む道がどうなるのか。各人のそんな「冒険哲学」とでも言うべきものを知ることで、私たちにも彼らが生きる世界の一端を垣間見ることができる。
そして最後の章に、この本の表紙が暗示(いや、明示?)している出来事の詳細が書かれている。それは、石川が書くとおり、まさに神田が導いた奇跡としか言いようがない。その出来事を知って石川は思うのだ、神田の計算と設計は間違ってなかったはずだ、と。そして、神田の言葉を思い出す。「絶対に成功するとわかっていたら、それは冒険じゃない。でも、成功するという確信がなければ出発はしない」。
しかし、神田は消えた――。いったい何が起こったのか。
本書にその答えはない。が、ひとりの冒険家たる神田が志したものが、石川の、膨大な経験と情熱によって裏付けられた確固たる文章によって丁寧に私たちの心に響いてくる。ともに命を賭した者同士の、熱く真剣な繋がりが生み出す強い生命が、この本にはある。