湯浅氏は、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの事務局長を務めるが、そこで長年、直接生活困窮者の相談を受けてきた経験によって、その実態を肌で感じてきた。そしてこれは決して、個々人の自己責任といった問題ではなく、社会全体の問題なのだということを『反貧困』の中で、彼は説得力を持って説明する。一度足を踏み外したら、個人ではどうしようもない巨大なシステムに飲み込まれ、一気に貧困に堕ちていってしまう社会の構造が、湯浅氏の明解な論理と、登場する個々人の人生のディテールによってよく理解できる。
一方、その社会構造において日本をリードするのがアメリカだ。堤未果氏の『ルポ 貧困大国アメリカ』には、湯浅氏が日本について述べている状態が、さらに深刻な事態へと発展しているアメリカの驚くべき現状が生々しく描かれている。
アメリカの貧困問題の根っこにあるものは、すべてを競争原理に基づく市場経済にゆだねたシステムにあると堤氏は指摘する。医療や教育といった生活の根幹に関わる部分が民営化され、競争にさらされることによって、効率化の名のもとにサービスの質が下がるとともに、競争になじまないものは切り捨てられていく。そして競争に勝って極端に利益を上げている保険会社や金融機関など、一部の大企業によってすべてが牛耳られ、他の人はほとんど抜け出すことのできない貧困に足を絡めとられてしまうことになる。
そのシステムの中で堕ちるところまで堕ちたものたちには何が待っているのか。戦場だ。
学校で落ちこぼれた生徒に軍のリクルーターから勧誘の電話がかかり、甘い餌をちらつかされながら、もはや這い上がるためにはイラクやアフガンに行くしか術がないことを説得される。また、複数の消費者金融から金を借りて多重債務者となったものには、高額の給与を提示する(戦争!)派遣会社から連絡が来る……。選択肢がない彼らを待っている現実は、あまりにも酷く悲惨だ。一方、派遣会社はそんな彼らを操って大儲けする。民営化された戦争によって生まれた「戦争ビジネス」である。行き過ぎた競争社会では、脱落していった人たちが食いものにされる。
<「教育」「いのち」「暮らし」という、国民に責任を負うべき政府の主要業務が「民営化」され、市場の論理で回されるようになった時、はたしてそれは「国家」と呼べるのか? 私たちには一体この流れに抵抗する術はあるのだろうか?>
堤氏は『ルポ 貧困大国アメリカ』の中で、そう問う。
アメリカの新自由主義政策をそのまま追随しているかのような日本が、堤氏の訴えるアメリカの恐ろしい姿に近づいていっていることは間違いない。そしてアメリカでは、いまや医師や教師といった社会的にも経済的にも安定していたはずの層が次々に貧困層へと転落しているというが、そんな「貧困スパイラル」(湯浅氏)が日本でも起きつつある実態が、『正社員が没落する』にしっかりと描かれている。
湯浅氏は言う。<中間層の衰退と貧困層の拡大は、ずっとセットで起こってきた>のだと。貧困の拡大をいま止めなければ、大多数の中間層は次々に貧困層へと堕ちていく。
<「貧困の人たちをどう救おう」ではなくて、「雇用とは何か」について国全体で考え直さなければいけない>(堤氏)。
もはや、誰もこれを他人事では片付けられない段階に来ているのだ。
<フリーターを、ワーキング・プアを切り捨てていくことが、自分の足元を崩しているということに気がつけるかどうかです>(湯浅氏)。
そのメカニズムは、この3冊によってはっきりと分かるはずだ。