フィッツジェラルドは自分の身近で起きた事柄を小説に反映させることで知られているが、『夜はやさし』に出てくる人々にもモデルがいる。ローズマリーのモデルは、フィッツジェラルドと関係を持った映画女優ロイス・モーランである。そしてダイヴァー夫妻のモデルは、この小説が捧げられているジェラルドとセーラのマーフィ夫妻だ。
マーフィ夫妻は1920年代のパリにおけるアメリカの芸術家たちの間で、トレンドセッター的な存在だった。ニューヨークのエレガントな百貨店マーク・クロス社の社長の息子ジェラルドと上流階級出身のセーラは生活の天才だった。自由に、創造的に生きる地としての南仏を発見し、アンチーブに瀟洒なヴィラ・アメリカを建てて、コール・ポーターやピカソ、アーネスト・ヘミングウェイ、ドス・パトス、ガートルート・スタインといった文化人を招いて美しく遊んだマーフィ夫妻の素晴らしい暮らしはカルヴィン・トムキンズの『優雅な生活が最高の復讐である』にくわしく書かれている。二十年代に南仏を訪れたフィッツジェラルドは、ジェラルド・マーフィに強く憧れていた。
『夜はやさし』が発表された時、マーフィ夫妻の友人たちはみんな激怒したという。ダイヴァー夫妻の表向きの描写は全てマーフィ夫妻の暮らしから借用したものだが、内実はスコットとゼルダのフィッツジェラルド夫妻そのものだったからだ。
ところが2007年、マーフィ夫妻の回顧展がアメリカで開かれることになり、そのパンフレットでもある『MAKING IT NEW』で『優雅な生活が最高の復讐である』やその他の評伝で伏せられていたマーフィ夫妻の秘密が明らかになった。ジェラルド・マーフィの同性愛嗜好である。
2007年の8月号の『Vanity Fair』の記事では、結婚後ジェラルドに少なくとも三人の男の愛人がいたことを明らかにしている。残酷なことに、その内の一人はジェラルドの性的嗜好を試すためにフィッツジェラルドが連れて来たチリ人であった。
ジェラルドはホモセクシュアルを自分の病だと感じていて、そのことで生涯苦しんだという。セーラは子供たちにとっての良き父親であるジェラルドを捨てることは出来なかった。ピカソが密かにセーラと通じていたという噂もある。
ダイヴァー夫婦は、華やかで自由な姿がマーフィ夫妻で、荒廃した内部がフィッツジェラルド夫妻をモデルにしている。本当にそうなのだろうか? 「優雅な生活」さえも復讐になりえなかった男の内部をフィッツジェラルドは見ていたのではないだろうか。あんなにも自由に、軽やかに見えたジェラルドは画家の道を捨て、マーク・クロス社の社長にならざるをえなかっただけではなく、本当の意味で自分の人生を生きられなかったのである。
だとしたら、『夜はやさし』におけるフィッツジェラルドの化身は、オリジナル版でダイヴァー夫妻を眩しげに見つめるローズマリーなのかもしれない。しかし近づいてみると、その眩しさは複雑な影を含んでいた。若い魂は知る、純粋な歓びなどこの世にはないのだ。そして歓びは失われていく一方なのだ。
オリジナル版を書いた時点では、フィッツジェラルドはまだアンチーブでの輝きを忘れてはいなかったので、その印象から小説は始まった。しかし、時間を経るにつれ、その幸せな記憶さえも欺瞞に感じるようになり、ただただ希望が失われていく様子を時間軸の通りに並べた形に変更したくなった。つい、そんな仮説を立てたくなってしまう。
「あの時代が楽しかったのはパーティのせいじゃないのよ」と、セーラは話している。
「みんな、お互いがとっても好きだったの。お友だちが好きで好きで、毎日会いたくてたまらなくて、そしてたいていは毎日会っていた。大きなお祭りみたいで、みんな、とても若かった」
『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ
そんな時代はあまりに遠く、波の中で砕けて消えた。『夜はやさし』は苦く、やるせなく、不思議に甘くもある余韻を残す、というか眩しい時代の余韻そのもののような小説であり、傑作ではないからこそ余計に愛しさを感じる、不思議な作品である。
参考文献
『優雅な生活が最高の復讐である』カルヴィン・トムキンズ/青山南訳
新潮社
『Making It New:The Art and Style of Sara and Gerald Murphy』 Deborah Rothschild編
University of Carifornia Press