こうした排除型社会をどう乗り越えるべきかを議論するとき、必ず浮上するのが「包摂型社会」への回帰論である。しかし、とヤングは言う。包摂型の社会を懐かしんで、ノスタルジーにふけり、かつての包摂型の政策をそのまま復活させたところで、いま以上に息苦しい社会を招きかねないと。「私たちの作業は、現在私たちが立っているところからはじめなければならない」とヤングは釘を刺す。それでは、経済的不安と存在論的な不安が互いに増幅し合うこんにちの社会にあって、排除型社会を克服する有効な処方箋はあるのだろうか。ヤングは社会民主主義の立場から、構造的な不正義が正されなければならないと主張している。われわれが取り組まなければならない課題は、新たな形態のコミュニティ、市場のきまぐれに左右されない雇用、八百長のない報酬配分を、どう実現するかなのであると。そこでは、問題を国家や専門家に委ねるのではなく、集中的かつ民主的な議論をとおして問題を抽出し、市民が互いの利益を配慮し合えるような市民権が中心に据えられなければならない。同時に、市民と国家が積極的に協力し合う社会民主主義が実現されなければならない、とヤングは主張する。
ヤングが目標として掲げるのは「富の公平な配分と多様性の自由を保証する世界」を築くことだ。「正義の領域」では、性別や学閥および遺産などによるデタラメな配分を廃して能力に応じた報酬を実現し、「共同体の領域」では、文化は本質的に異なるのではなく、変容し融合すると考えて多様性を認め合うことが大切だというのである。
本書は欧米の社会・犯罪研究を土台に議論が進められているために、現象面だけを見れば日本の実態にそぐわないものも含まれていることは確かである。たとえば、人口あたりの比率で見れば、ヤングが指摘するように日本での犯罪は増加しているとは言えないだろう。しかし、こんにちの日本を支配している、重苦しい空気、目を覆うばかりの格差や貧困がどこからやって来たかを理解する上で、本書は第一級の資料だと言っていいだろう。
まもなく行われる総選挙は、われわれにとって格差や貧困を是正するための第一歩にする好機である。新自由主義政策が産み落とした、無惨な排除の実態を噛み締めながら、冷静に一票を投じたいと思う。
ジョック・ヤングは1942年、スコットランド生まれ。現在はニューヨーク市立大学と英国のケント大学で教鞭をとる気鋭の社会学者・犯罪学者。本書が評価されて、ニューヨーク市立大に招聘されたという。500ページを超える大著であるけれど、読み終わって、胸のつかえが下りる気がした。素晴らしい読書体験だった。