ねじめ正一は先輩詩人の恋の道行きに共感を込めながらも冷徹に描いていく。太郎の出奔、田村と明子の離婚、太郎と明子の同棲…時にほのかに明るくふたりの行く先を照らしはするものの、いったん目を凝らせば、そこにはまったき闇があるのみだ。島尾敏雄の『死の棘』の重苦しさには及ばないものの、この何ものをも生み出しはしない不妊の恋がどう終わるかだけを頼みの綱にして、読者は読み進めるしかない。しかしそれはあっけなくやってくる。田村は二十代の家事ひとつできない娘との同棲に疲れ果て、明子にSOSを送ってくる。田村のアルコール依存の病状は悪化していた。鎌倉・稲村ケ崎の彼女の持ち物である自宅をいわば田村と小娘に乗っ取られていた格好の明子は家を取り戻すという名目で田村のもとへと帰ってゆく。太郎と明子の恋はそのように終わりを告げる。
太郎と明子の間に、時折割って入るようにして顔を覗かせる田村も不思議な魅力をたたえている。酒にも女にもだらしがなく、甘え上手で、しかも計算高い。明子を辛辣な言葉でいじめ抜く意地悪さがある一方で、ふたりの関係を認め、祝福する鷹揚さを持った男。田村はまさに駄目な男の魅力に満ちている。だが、誰も田村を憎むことはできない。明子にとって太郎も所詮「港の人」に過ぎなかったのだろう。嵐の海で身を寄せる港。明子は稲村ケ崎の田村のもとへ帰っていったが、以来ふたりは男女の関係を超えた友情を育ててゆく。
だが太郎は、ただの「港の人」などではなかった。ほどなくして、太郎に年若い恋人ができる。詩の朗読会で出会った、阿子という看護士だった。娘ほど歳の離れた阿子に、太郎は溺れてゆく。恋の高揚感の中にあって、太郎は身体の不調に気づきはじめる。病いはあっけないほど早く死の影を運んでくる。「あなたを見送るの、わたしにやらせて」阿子は太郎の耳元で囁いた。病名は多発性骨髄症だった。
92年10月26日、太郎永眠。享年69歳。田村が逝ったのはその6年後のことである。
この小説を読みながら、涅槃像のように横たわる田村の姿を想い出していた。無邪気な田村の笑顔の周囲を覆っている不穏な空気の正体がやっと呑み込めたような気がした。田村の後ろに控えていた和子(小説では明子)も、太郎との関係を終わらせ、稲村ケ崎の自宅へ舞い戻って、まだ間がなかったに違いない。あの不思議な空気がなにからできているか、わたしには知る由もなかった。
田村の詩をはじめて読んだのは15歳のとき、太郎の詩をはじめて読んだのは25歳を過ぎていただろう。太郎には悪いけれど、わたしは田村の詩の熱狂的なファンだった。だから、この小説の視点となる人物は田村であって欲しかった。
ねじめはもちろん、そんな馬鹿な過ちは冒さなかった。しゃにむに前に進むために置き去りにしてきたものを不惑の歳を超えて取り戻そうとするように、親友の妻との恋に走った男、それがノンシャランな田村ではなく、理性的で沈着である太郎であったころがこの物語に、ある種の凄みを与えている。
恋とは不思議である。それにもまして、老いることとは不思議である。そんなことをこの小説を読んでから、ちらちらと考えるようになった。