詩人は涅槃像のように横たわっていた。1990年の夏の終わり頃だったろうか。開け放たれたベランダからヒグラシの声が聴こえていた。おずおずとこちらが名刺を差し出すと、詩人は半身だけ起こしてそれを受け取り、名刺を一瞥すると、でキミはどこの出身かね、とわたしに訊いた。ホッカイドウのアサヒカワです。そう答えると、詩人はうれしそうに、そうかと言って身体を起こし、カアサン、アサヒカワにビールビールと、上品な50代半ばの婦人のほうを振り返った。
詩人の名前は田村隆一、婦人の名は田村和子。後の『荒地の恋』の主要登場人物であるこのふたりをどこか不思議な気分で眺めていたのを思い出す。高校生の頃から愛唱していた、『四千の日と夜』の詩人は、カエサル像のような横顔をこちらに向けて、うまそうにビールを飲み続けた。
『荒地の恋』は、田村隆一、田村和子、北村太郎という実在の人物の恋愛事件に取材した小説である。太郎53歳、和子(小説中では明子)46歳。それはまさに分別盛りの恋だった。無論、それだけで済むわけはない。和子は田村隆一の妻であり、太郎にも家庭があった。さらに太郎は田村と東京府立三商時代からの親友であり、鮎川信夫、田村らとともに1951年に創刊した詩誌「荒地」の同人だった。それは許されざる者の裏切りだった。
大新聞社の校閲部長の職にあり、一男一女をなし、郊外に家を持って、平穏に暮らす太郎の心にさざ波が立つ。戦後詩人の中で、カリスマ性を持ったスター詩人の田村に較べれば、あまりに地味な存在だった太郎に、親友からの虫のいい依頼が持ち込まれたのだ。太郎が過去に翻訳した小説を田村と共訳の名義で出版しないかという、半ば強引な申し出だった。田村は太郎の訳をそのまま使って、出版社から共訳者として翻訳料をせしめようという魂胆だった。そんな頼み事でさえ太郎が断れるはずもなかった。
肝臓を壊して入院中の田村に代わって、翻訳の手直し原稿を受け取りにやってきたのが明子だった。明子は田村との暮らしに疲れ、心を病んでいた。難破船のように波間を漂う明子にとって太郎は自身の詩のタイトルのように『港の人』(思潮社、88年刊)そのものだったろう。ふたりは互いの引力に引き寄せられて逢瀬を重ねるようになる。はじめのうちは翻訳の仕事を口実に、やがては抜き差しならぬほうへと進んでゆくのは避けられぬことだった。太郎と明子の仲が深まるにつれ、太郎の妻・治子も夫の不審な行動に猜疑心を募らせ、心を病んでゆく…。