物語の未来予測は暗澹としたものだ。二〇一五年という、かなりの近未来に設定しているところも嫌な感じ。なんだか現実化してしまいそうで(オリンピック、来るな!)。格差社会が進行しつつある日本の現状が設定には反映されている。予測モデルに現実味があるのは、深町が国内の事情だけではなく、移民問題や福祉の切捨てといった強引な経済施策を行った諸国の歴史にまで目配りをしているからだ。小説の外見は粗暴であるが、細部はきちんと考えた上で詰められている。物語の表面に出てきていない裏設定がかなりあるのではないかと推測できる。二百八十ページという分量は、物語の柄にしては少ない。だがダレる部分は少なく、緊密な仕上がりになっているのだ。コンパクトな作りという戦略は成功している。
深町の長篇小説はこれで三作め(別名義の共著が一冊ある)。第三回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した『果てしなき渇き』(宝島社文庫)こそ習作の域を出ない作品だったが、新人賞応募作ということで遠慮した面があったのでしょう。次の『ヒステリック・サバイバー』(宝島社)で完全に化けた。アメリカのコロンバイン・ハイスクールで起きた銃乱射事件を本歌取りした作品だが、構成が冴えている。主人公は、アメリカのハイスクールに留学して銃撃事件に遭い、PTSDを負ったという設定だ。彼は帰国して日本の高校に入りなおすのだが、そこにも陰湿な争いが存在した。運動部のアスリートたちによってオタクと蔑まれ、いわれなき暴力を受けている少年たちが、ひそかに復讐を狙って動き始めていたのだ。その争いに心ならずも巻きこまれた主人公の葛藤を描き、サスペンスとしても、青春小説としても成功している。日本人社会の中ではすべての問題が一旦隠蔽される傾向があり、それがさらに深刻化を招いて最終的には取り返しのつかない暴走を呼んでしまうことがある。そうした現代の病理を高校生の社会に委託して書いた傑作なのだ。
『東京デッドクルージング』は、深町が『ヒステリック・サバイバー』で示した鋭敏な分析の能力を再び示した快作である。アクション小説としても頭抜けている。特に死の天使というべき働きをする、ファランのキャラクターがいい(テクモあたりで格闘ゲームにしませんか?)。その活劇の背景が平板な書き割りではなく、深刻な社会問題を視野に入れた奥行きのある仮想世界だというのがいいのである。未来のない東京で明日をも知れない闘いに酔え!