かつて、この国は兵士を戦争に送り出し、敵と戦うことなく餓えで死ぬことを強いた、のである。この本は、これまでに読んだ戦争の本の中でも、特に悲惨な戦場といっていい「ニューギニア戦線」の事実を一部教えてくれている。悲惨なという言葉も追いつかない惨状をいくら書いたところで、生き延びた人には足りないだろう。そこに出かけた兵士の生還率が2%、と書かれると普通は激戦だったのだろうから、日本兵も多く死んだのだろうが、敵兵も多く死んだ戦場だったのだろうと思う。それがそうではなく「病死、餓死、負傷した兵の自殺」がほとんどで、戦わずして死んでいるのだ。敵兵と戦っていないのだ。
こうなると、誰がそういうことをさせたんだ? と思う。多くの人が思うはずだ。
もう、制空権を完全にとられている海域にある島、港に、兵士を送り込み物資も届けようとする日本。しかし、その大半が海に沈められてしまう。やっとの事で島についた兵士たちも、海岸にいれば敵の飛行機に狙われるし、大量の武器と食料を持って上陸してくる敵兵から逃れるために、人跡未踏のジャングルに逃げる。
延々続くぬかるみ。方向感覚の喪失。食糧不足。大量の雨。靴が駄目になり、脚が駄目になり、虫に刺され、病気になり、熱に浮かされ、疲労で倒れ、毎日毎日日本兵が死んでいく。「天皇陛下から下賜された銃」は、死んでも放してはいけない物だけれど、それが重くて運べなくなる兵士たち。敵と遭遇して戦って死ぬのではなく、敵から逃れて生きるために入ったジャングルで餓死・病死である。
本を読んでいて、気持ち悪くなる。
ニューギニアのそこここでこうした惨劇が繰り広げられたという。それはこの著者が、同じ時期同じ地域にいて生き延びた「生還率数%」に入った人々の日記から拾って紹介してくれている。
日本兵は「捕虜になるぐらいなら死ね」と徹底して教えられていることを既に敵は知っている。「あなたたちはよく戦った、もういいでしょう。食料もあるから投降してきなさい」と、呼びかけられても自決を選んでしまう。
そういう本を読むことが、8月に戦争の本を読むことです。「戦争体験を語り継ぐ」という言葉があるが、私は他人の体験を語り継ぐことはできない、と考える人間。だから、戦った人の話を聞き、会うことがかなわない人の本をこうして8月に読む。
通勤電車の中で「戦争の本を」読んでいると、夏休みに入った子供を連れて遊びに行く途中の若い母親が沢山いる。わがままと不躾、傍若無人という言葉通りの「やつら」と、私が読んでいる本のページの中で人間の尊厳も失って死んでいく兵士の距離を思って沈んでしまう。
私には、解決のしようがないし、結論もない。
とにかく、そういう戦争があって、友人の死体の悪臭を抜けて生き延びた人の話を読んでおくしかない。
この『地獄の日本兵』は、著者が大変冷静に、しっかり事実を踏まえて書いている。途中で読みたくなくなるかもしれないけれど、あの戦争が「この本のようなこと」を沢山含んでいたのだと知って欲しい気がします。