2008年の8月が来てしまった。私の8月は、戦争の本を読む月、ということにしてある。太平洋戦争、あるいは大東亜戦争と呼ばれた戦争について書かれた本を読む月です。
私の父は、かつて満州と呼んだところに行って戦争体験をして戻った。そして、子供の私が聞いても、戦争についての話はほとんど口にしなかった。どうも、ほとんどの兵士たちが、あの戦争について軽々に口を開かないものらしい。よほどひどいものだったのだろうと、想像していた。
大人になって、あの戦争は北はアリューシャン列島から南はニューギニアまで戦線が伸びた状態で戦争をしたことを知り、少し調べてみると、戦争のすべてを把握している人がいないということがわかった。
もっとも把握していなかったのが、大本営という、直接敵を撃つこともなく撃たれることもない人々だったとわかるようになった。これまで20年近く日本の「最後の戦争」の本を読んで、この大本営の人々が戦争を把握しなかった、掴んでいる戦場の事実を無視して日本の兵士を「救おうとしなかった」ことが最大の悲劇だったと思うようになっている。
とにかく、南の島や大陸で戦った人、北の大陸で戦った人、太平洋に出て戦艦で戦った人、皆戦争が違うのだ。
その上で、米英を敵に回して戦争をして勝てると思ったのかどうか? という疑問もある。武器と食料と日本が使える燃料、それに確保している資源の量を考えれば、戦争は無謀だと、今の私は思う。にもかかわらず、国を挙げて戦争した理由は何だったか。
実は、武器が足りなくなること食糧の自給も危機を迎えること、燃料や資源の確保も非常に不安であることをあの時点の政府は知っていたことを本から学んだ。
それなら何を思い描いて、誰の責任で戦争を始めたのかも「正しく」知りたかった。そういう思いで、8月に戦争関連本を読むようになって長い。
負けた戦争について丹念に書いた良質の本は、良質であるが故に楽しくない。多くの著者も、楽しくて書いているのではない。二度と戦争をしてはいけないと自ら思い、そのことを人に伝えるために書いている。また、あの戦争の責任を誰がとったのか? 誰もとらなかったではないかと、国家を詰問する。そういう本を、敗戦の日がある8月に読む。
実は、日本にはもう一回「戦争の月」があって、それは12月である。12月8日が開戦の日。ということで、毎年12月には「まだ日本軍が戦争に勝っていた威勢のいい頃」の戦争本が多く出版される。私は、それは読まない。私にとっての12月8日は、John Lennonが撃たれた悲しい日である。
さて、毎年5月頃から8月向けて戦争本を探して用意する。その中の一冊が、この『地獄の日本兵』。
帯には「米軍より恐ろしかったのは餓死だった。85歳の元兵士が暴く戦争の『醜いはらわた』」と書いてあり、中にも「敵と撃ち合って死ぬ兵士より、飢え死にした兵士の方が遥かに多かった」とも書いてある。