なんかゴーゴリについてえらくたくさんしゃべちゃったね。これであなたもゴーゴリ博士。ゴーゴリは何度も甦る。かれの時代にはリアリズムの先駆者として語られた。二十世紀初頭には、シクロフスキーが文学研究のなかで、フォルマリズムの方法で『外套』の語りの複雑な構造を読み解いた(3)。日本にも影響を受けた作家は多い、二葉亭四迷、芥川龍之介、太宰治、後藤明生あたりが有名だが、北杜夫の『三人の小市民』(『遙かな国遠い国』収録)もいかにもゴーゴリアンな、忘れ難い魅力がある、めちゃくちゃおもしろい。
(1)アンリ・トロワイヤ『ゴーゴリ伝』、村上香住子訳(原著1971年、中央公論社1983年 p152)は、この観点をさらに発展させる。「著者はつい筆を滑らせて、性的意味合いも含ませて書いたのではなかろうか? 不能に陥った彼は、自分の肉体の一部の、突き出た細長いものが、もぎれてぶるぶる震えて、町にとび出していき、強烈な刺激的アヴァンチュールを求めて、通りをぐるぐる駆けめぐる図を想像して、ひとりでおもしろがっていたのかもしれない。自分の持っている突起を、雑踏のなかに放り出し、硬直して裸出したその部分は、紳士方の制服や、ご婦人のドレスにするりと接触したりする。彼は自分でも気づいていなかったが、空想を追い求め、どこもかしこも大混乱を引き起こしているうちに、日ごろから頭にこびりついていた妄想から解放されたのだ。」なお、本書は規範的な評伝であり、今回のこの書評を書くにあたって、おおいに参照しました。
(2)ナボコフ『ロシア文学講義』(TBSブリタニカ刊1982年)ゴーゴリの名は、ロシア語なら Гоголь、英語やフランス語では Gogolである。さて、ナボコフは語る。ゴーゴリの名の「発音は"Gaw-gal"であって、"Go-gall"でない、最後の"l"は溶けるように柔らかい"リ"であり、この音は英語には存在しない」、そしてかれは(アメリカの学生向けの講義で)ゴーゴリに賛美をこれでもかとばかりにまくしたてた最後に、そっと宣言する、「(英語では)名前さえ満足に発音できない作家を理解することはとうていできないだろう」。なんて嫌味な言葉で講義を締めるのだろう。さすがペテルブルクが生んだモダンバロックな大作家だけのことはある、ナボコフのゴーゴリへの愛情もまた狂信的な色彩を宿している。
(3)『ロシア・フォルマリズム文学論集1』(水野忠夫編著 せりか書房1982年)収録、ボリス・エイヘンバウム『ゴーゴリの『外套』はいかに作られたか』
■ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリ(Николай Васильевич Гоголь, Nikolai Vasilievich Gogol 1809年-1852年)ウクライナ生まれのロシアの小説家、劇作家。
おもな作品に、以下のものがある。
『ネフスキー大通り』 1835年
『狂人日記』 1835年
『鼻』 1836年
『検察官』 1836年
『ローマ』 1841年
『死せる魂』第一部 1841年
『外套』 1842年