で、その後ゴーゴリは、夢の大都会ペテルブルグにあこがれて上京したものの、暮らしてみたらろくなとこじゃなかった、騙された、なんて嘆くんだ。で、下級公務員やってるうちに、有名作家になっちゃった、その後、学校の先生やったり、業績もないくせにコネつかって大学に准教授としてもぐりこんだりするんだけど、学生時代に勉強なんてしたこともないわけだから、向いてるわけがない。最初の授業だけは一所懸命準備してすばらしい授業をやったものの、次の授業からは飽きちゃって、学生なんてバカばっかりなんだからあんな連中のためにこっちが勉強するなんて悪徳だ、とか勝手な理屈つけちゃって、質問されても答えられないし、質問攻めになるのが嫌なもんだから顔に包帯巻いてきょうは歯痛だとか嘘ついちゃったりする。とうぜん准教授の仕事の二年かなんかでクビ。ただしこの時期作品はヒットを飛ばしてるし、小説はウケてもいる。人生の最後のほうでは宗教に入れあげちゃって、自分のいちびりでギャグ満載の作品と、自身の現在の燃え上がる信仰心のあいだの矛盾に悩んじゃって、鬱病みたいになっちゃう。(というわけで、いまにしておもえば幼年期に問題があったんだろうなぁ、だってゴーゴリのおかあさん、ものすごい信仰深い人だからねぇ、おかあさんの存在に生涯縛られてたんだろうなぁ)。しかもそんなふうに鬱病みたいになってるときに、したしい神父が「じゃ断食なさい、ゴーゴリさん」なんて言ったんだ。でもってゴーゴリ、死因は断食による衰弱死。(かわいそうに)。はげしいねぇ、すごい生涯。
さて、最後に『鼻/外套』の光文社古典新訳文庫も出たことだし、翻訳比較をやっておこうか。
ゴーゴリは朗読の達人だったらしく、テクストは、散文でありながら、語りへの親近感を隠しきれない。(ナボコフの指摘によると)ロシア語の原文には、韻を踏んだり、はたまたある語の音の響きが物語をつくりだしているような箇所も散見されるそうな、むろん残念ながら翻訳は不可能で(2)、したがってほんらいこうした作品には、膨大な注釈つきの翻訳が理想的なのだけれど、ただし、贅沢をいえばきりがない。では、既存の翻訳を(新刊書店で入手しやすい範囲で)紹介してゆこう。
『外套』の一節を読み比べてみよう。
「毎晩の空腹にすら、彼はすっかり慣れっこになった。けれど、その代りにやがて新しい外套が出来るという常住不断の想いをその心に懐いて、いわば精神的に身を養っていたのである。」(岩波文庫1938年/訳・平井 肇)
「夜ごとに腹をすかせることさえ彼はすっかり慣れてしまい、そのかわり、絶えず未来の外套を心に想うことにより、精神に糧を食んでいたのだ。」(講談社文芸文庫1999年/訳・吉川 宏人)
「しまいには夜な夜な腹をすかせることにもまったく慣れっこになってしまった。そのかわりかれはやがて出来上がる外套という未来の理念(イデア)を心に抱いて、いわば精神の糧で身を養っていたのである。」(群像社2004年/訳・船木 裕)
「夜のひもじさも平気なもんです。精神的な満足感でひもじさを補おうってんでしょうかね、頭ンなかで未来の外套に思いを馳せるのであります。」(光文社古典新訳文庫2006年/訳・浦 雅春)
達意の名訳である平井訳、格調ある吉川訳、緻密でテクスト読みとしての信頼を感じさせる船木訳。そして笑いを活かすことを最大目的とし、(長いセンテンスなどは平気で砕き)、読みやすさと調子の良さを重んじる、落語調のたのしげな浦訳。いずれも魅力的だ。