「訳者あとがき」にそのへんの謎解きがされているかもしれないが、私はまだ目を通していない。実話であろうがなかろうが、私には関係がない。夢で見たものを夢の中では現実と感じ、そのことが大事であるように、作家が一冊の本として完結させた世界にぶつかって、何を思ったかが問題だからだ。「あとがき」はこの稿を書き終えてから、改めてゆっくりと読むことにしている。
アテナはレバノン人の夫婦によって、ルーマニアの養子施設から生後3カ月のときに引き取られたという。母親はジプシー(差別的な響きがあるとして「ロマ」と言い換えることもあるが、著者が事情を知ったうえであえて使っていると思われる記述があるので、それにならう)だった。幼いころから霊感に富み、12歳のときにレバノン内戦勃発を予言し、家族はイギリスに亡命する。
20歳そこそこで結婚、出産。しかし、経済的な裏づけのない生活は若い夫婦に亀裂をもたらし、結婚は2年で破綻した。子どもを養うために働き始めるかたわら、彼女はダンスを通じて魂を解放し、潜在能力を活性化させる方法を学ぶ。一介の事務員として勤めていた銀行の支店で、アテナは同僚にダンスを教える。ダンスは職場の人間関係にエネルギーを吹き込み、支店の業績は飛躍的に上がった。
彼女は昇進し、栄転先のドバイでは不動産事業で成功。母子二人で生活するには十分すぎる経済力を手にすることになる。しかし、常に何かが足りなかった。アテナはそれまで絶対に会わないと心に誓っていたジプシーの母を探し出した。自分を捨てた母親が誰かを知ることで、人生の「空白」が埋められるはずだと思ったからだった。が、アテナは産みの母に会い、こう語っている。
「あなたの顔を見れば、それでもう(空白を埋めるには)十分だと思ってました。だけど、そうじゃなかった。それ以外にも自覚する必要のあることがあったんです……自分が愛されていると」
物語の最大のキーワードは「愛」である。アテナが師と選んだ女性によれば、彼女はこんな思いを爆発させている。
「万能で正しいことをしているという自信があるのに、なんでせめて愛されて尊敬されるようになれないの?」
アテナは常に刻苦勉励してきた。過去に踏みとどまることを嫌い、今に満足してはいけないと自らを戒めた。人と違うことを恐れず、そのために周囲と摩擦を起こすことにも甘んじた。つまり、夢を追い続けるという人生の課題に忠実であり、彼女は十分に成功してきた。でも、結局のところ一体何を得たのだろう?アテナが求めたのは夢をかなえることによって得られる報酬、それは「愛されている」という実感であった。
衆生を救う力を持つ天使が一見、普通のサラリーマンのようであるのと同じなのか逆なのか、自分の思うままに行動する強靭な意志を持ち「魔女」と呼ばれても、愛されたいと願って心をかき乱す一人の女性なのだ。ともあれ、人が夢を追いかけるのは「愛」のためなのか……そう考えると、一応は分かったような気になる。だが、自分でつけた理屈にもかかわらず、どうも私にはすとんと胸に落ちてこないのだ。