こうした、良く言えばヴァラエティに富み、悪く言えば玉石混淆の出演作品の数々において、当人はことさらに工夫や努力をしているようでもなく、ただ「池部良」として違和感なくその場に溶けこみ、そしていわく言いがたい美と気品と清潔な色気をもって観る者を惹きつけつづけます。日本映画史の全盛期を飾る綺羅星のごとき男女のスターたちの間でも、とりわけ捉えがたい輝きをはなつスター、それが池部良です。
本書は、その池部良当人と、大学に籍を置く映画研究者として、そして何よりもいちファンとして、「映画俳優・池部良」を見つめてきたインタビュアーたちの、つまり「観られる存在」としてのスターと、「観る存在」としての観客=研究者が対話をかわし、そこでそれぞれの思考と視線が交錯してゆく中から、このスターの容易には把握しがたい、しかし限りない魅力を掴んでゆこうとする意欲的な試みです。代表的な出演作品の各場面のビデオをその場で見なおしつつ、改めて本人の記憶や感想を尋ねてゆくというユニークなインタビュー方式がとられており、「観られる存在」であったスターが、過去の自らの出演作を改めて「観る」体験から引き出される具体的な語りが、本書の奥行きをさらに深いものとしています。
日本映画界きっての名エッセイストとしても知られる池部氏は、すでに自らの戦争体験や、映画界での活躍の回想を書き綴った多くの著作を世に出しており、本書でインタビューに答えて語られる内容は、過去の著作の内容とある程度重複しています。しかし、本書において、生き生きした話し言葉のニュアンスを最大限に残しつつテキスト化されている池部氏の語りは、つねに若々しくきびきびとして、ときには率直で真摯、ときにはユーモアと諧謔にあふれ、ひときわ魅力的なものです。
池部氏は元々監督を志望して映画界に入ったというだけに、随所でキラリと光る映画についての鋭い批評眼と優れた見識も、本書の愉しい読みどころのひとつです。たとえば『雪国』(監督:豊田四郎、東宝、1957年)の画面をビデオで見つつ、演出の問題点を具体的に指摘するくだり(120-124ページ)。さらにアメリカ映画の主役と脇役のストーリーを交錯させる話術の巧みさについての指摘(162ページ)や、ハリウッドのスターたちがいつも同じように見えて、「よく見ると演技というものを大事にしている」(152ページ)と語るくだりなど。
あるいは、出演作『戦争と平和』(監督:山本薩夫=亀井文夫、東宝、1947年)の共同監督だった亀井文夫が、代表作のひとつ『信濃風土記より 小林一茶』(東宝、1941年)で、畑のかたわらで農民が立ち小便をしているショットを撮るために、俳優に大量の水をむりやりに飲ませたというエピソードを引いて、「確かに亀井さんの考え方やその画は素晴らしいと思うよ。だけど、人間の心がその中にはないよね。〔中略〕人間には自由がきかないこともたくさんある。そういうものをちゃんと理解してどう按配してやっていくかが映画監督の役割だと思うし、そこに映画の嘘もあり本当もある」(44ページ)と批判を述べるくだりなど、共に仕事をしてきた監督やスタッフ、共演者たちに対する、ときに厳しく辛辣ながらも、確かな知性に支えられ、きちんと筋の通ったコメントの数々にも大いに頷かされます。