だがここに、ひどくわかりやすい解釈がある。キリスト教でよく言われる、肉体は滅び、魂は永遠である、という考え方だ。彼は神の意思によって、人びとの罪の生贄として死んだ。そして天に上り、三日目に甦った。現世の肉体は朽ち果てはするが、その人間に宿った魂は不滅である。生きているのは、人びとの心の中にあるキリストの教えであり、愛であり、赦しであり、救いである。これまではそう考えられてきた。それが宗教のありかたとして、もっとも無理がなく納得がいく。
しかしなお、だからこそ大きな疑問が残る。では、キリストの朽ち果てた肉体はどこに行ってしまったのか…。
その答えが、この本「キリストの棺」にはある。一九八〇年三月、イスラエルの古都エルサレム市内のタルピットでの宅地開発工事で、ブルドーザーが墓の前室を掘り起こしたのだ。中に入っていくと計十個の骨棺が納められていることがわかった。骨棺とは、遺体を一年ほど墓に置き、肉が朽ちた後に残った遺骨だけを納める小型の棺である。その石灰岩製の粗末な棺には、そこに納められた人物の名前らしきものが彫られていた。その中のひとつに「ヨセフの息子イエス」とあったのだ。
しかし、それひとつでは同じ名前の別の人間かもしれない。何しろイエスの生きた紀元三〇年前後、「イエス」という名前はごくありふれていたからだ。だから彼は生前「ナザレのイエス」と出身地を冠せられて呼ばれていた。それにその棺に納められた骨でDNA分析したとしても、彼の遺骸がくるまれたという伝説の聖骸布も残されていないし――イタリアのトリノにあるキリストらしき人影を写した布はダ・ヴィンチの贋作だと言われている――あるいは、彼の脇腹を刺したと言われる血塗られた槍も、彼の両手両脚が釘付けされたことによって流した血を吸ったと思われる十字架の破片も残されていない現在、その骨をいくら調べてもイエスだと比定することはできない。
そうなら、と、この本の著者であり、発掘調査をしたドキュメンタリー・ディレクター、プロデューサーのシンハ・ヤコボビッチと純古生物学博士、鑑識考古学者のチャールズ・ベルグリーノは意表をつく方法を編み出す。
残る九つの棺には、イエスの父と思われるヨセフや母と思われるマリア、弟子のマタイなどなどがあった。驚くべきは、イエスの妻と思われるマグダラのマリア、そして「イエスの息子ユダ」の名が彫られた棺もあったことだ。息子はともかく、これら聖書でお馴染みの人物たちの、当時はありふれていた名前がこれほど多く一つの墓の中に同時に存在することの〈確率〉から、彼らはこの墓が本物であるかどうかを調査することにしたのだ。結果は二五〇万分の一。ほとんどありえない数字だ。イエス・キリスト一族の墓以外には考えられないことを意味している。