おばあちゃんは畑をたがやし、家畜を飼って、野菜やなにかを町に売りに行って暮らしている。おばあちゃんには、夫を毒殺したという噂があって、その噂のゆえに、ちいさな町の人たちのみんなから魔女と呼ばれ、疎んじられている。
ここでようやくわかる、どうやらその一件が、双子の母と祖母の不和の原因になっているようだ。なぜなら、双子の母は、父親が好きだったから。では、なぜ、おばあちゃんは、自分の夫を毒殺しただろう?
大人たちは、みんなどこか狂ってる。おばあちゃんはドケチで不潔で、殺人の過去さえあるらしい。魔女と呼ばれ、町の人々から疎んじられている。占領軍の将校は、ゲイであり、少年愛で、おまけにマゾである。神父は、神父のくせに、みつくちの少女に性的おたのしみを要求している。教会勤めの女中は、わがままな気分屋で、美少年好きで、身勝手にエロく、また弱者に平然と残酷である。町の靴屋は、不当に殺されてゆく運命を、なす術もなく受け入れている。そんななかでぼくたちたちは、強くたくましく生きてゆく。そう、誰よりも強く、たくましく。
衝撃のラストが待っている。ふがいなく情けない〈父〉を見捨て、乗り越え、強くたくましいく生きてゆく〈子〉という主題が鮮明に現れる。それにしても果たして、双子はほんとうに存在しただろうか? 孤独な少年の妄想ではなかっただろうか? そんな疑問も不意に沸いてくる。だが、それを言うならば、かれら美少年の双子そのものが、たとえばコドモを失った母親の妄想だったかもしれない、そんな解釈さえ成り立つ。ただし、こうした問いに正解はない。ふがいない大人たちのなかで、双子は誰よりも強く、たくましく、なにがあってもタフに生き延びてゆく。ただし、その小説内現実の、その外側のあらゆる可能性を考えながら。
原文にあたってみると、「ぼくら」は"Nous"であり、英語の"We"に相当する人称だ。"Nous"という主語は、論文では日常的に用いられるそうだけれど、小説ではめずらしいようだ。
Nous arrivons de la Grand Ville.
ぼくらは、大きな町から到着しました。
主語はあくまでも、Nous、すなわち、ぼくら、だ。しかも物語のなかでかれらには名前がなく、また、どちらがどちらかもはっきりしない。この平易な書き方には、どこか異様さがある。それはむろん著者のアゴタ・クリストフが、ハンガリーから亡命し、母語から引き離され、亡命以降に習い始めた第2外国語たるフランス語を使って、小説を書いたことに拠る。平易な散文の異様さはそこにある。成人後に習得した外国語で小説を書く、おおくの困難が待ち受けているそのハンディキャップに満ちた試みを、しかしクリストフは、子供を主人公にすることに拠って、大いなる可能性に変えた。
生きるんだ、なにがあっても生き延びるんだ。そしてぼくらの笑い声を聞かせてやろう。
アゴタ・クリストフは、そんな双子の美少年たちをいきいきと造型した。彼女が作り上げた世界は彼女を生き延びさせ、そして多くの読者を生き延びさせるだろう。文学は希望を作り出すためにある。アゴタ・クリストフのこの『悪童日記』を読むと、そんな姿勢がリアルに伝わってくる。3部作として知られているが、単独で読んでじゅうぶん魅力的だ。
■アゴタ・クリストフ Agota Kristof は、1935年、ハンガリー生まれ。1945年、10歳で敗戦。ソヴィエト連邦に占領され、共産主義国ハンガリー人民共和国となる。しかし共産主義への反発も大きく、1956年に、反共産主義運動(ハンガリー動乱)が起こるが、ソ連に鎮圧された。この1956 年、彼女は21歳のとき、彼女と彼女の夫(以前、学校の彼女の歴史の教師であった)、およびかれらの4ヶ月月目の娘は、スイスのフランス語圏ヌーシャテル Neuchatel に亡命し、時計組み立て工場などで仕事をした。5年の孤独の日々の後に、彼女は、工場の仕事をやめて、夫を捨て、 彼女は、フランス語を勉強し始めた。1972年以降、彼女は戯曲を発表し始めた。劇場との関係のなかから。
1986年、51歳のとき最初の小説、『悪童日記』(ハヤカワepi文庫)を発表。そしてその後、
1988年『ふたりの証拠』(ハヤカワepi文庫)
1991年『第三の嘘』(ハヤカワepi文庫)
を発表した。以上を3部作として完成させたとき、彼女は56歳になっていた。
そのほかの作品に
1995年『昨日』(早川書房)
2005年『どちらでもいい』(早川書房)
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