その後、ボルヘスにとっては憎いペロン政権が倒れ、新政権樹立後は、うってかわってボルヘスは国立国会図書館長になったり、アルゼンチン文学アカデミーの会員になったりして、輝くばかりの名誉を獲得します。しかし、そのときボルヘスは、もう視力を失いつつありました。
後期は、すでに盲目ですから、作品は口述筆記に拠って書かれています。そのせいもあって、おはなしのおもしろさ、ボルヘスらしさが、わかりやすくシンプルに前面に出てきています。またボルヘスはすでに国際的成功も名声も得ていますから、大作家の余裕が感じられます。
最晩年の短編集『砂の本』の各短篇には、ほとんどビギナーズ・ガイド・トゥ・ボルヘスという趣があります。そう、ここでボルヘスは、あたかも自分自身のカリカチュアを描いているかのようです。ただし、その線は歌うようで、なんとも幸福に満ちています。
ボルヘスは書きました、言語は引用のシステムである。もしも凡百の著者がこんなせりふを書いたところで、いたってのどかなもの。しかし、ほかでもないボルヘスがそう書いたとき、そのせりふはにわかに不穏な輝きを帯びてきます。そう、そのせりふは予言のように響きます、ありとあらゆる文学作品がボルヘス宇宙のなかに吸い込まれてゆくその予言のように。
しかも予言は的中します、ボルヘスは引用に拠って、自分の作品のなかに既存の文学を招き入れ、その作品を新たな文脈に置き直し、別の輝きを与え、それと同時にいったんボルヘスの作品を読んでしまった者には、まるであたかもボルヘスこそがそこに引用された作品の真の作者であったかのような錯覚を生み出します。そう、ダンテも、セルバンテスも、シェイクスピアも、チョーサーも、真の作者はボルヘスであったかのような!
ボルヘスは、文学宇宙の北極星。あらゆる星たちのなかでひときわ輝き、その星を中心に、すべての星座が輝く、そんな星。
文学マニアにとって幸福とは、あるいは、ボルヘスの術策にはまることのまたの名かもしれません。いいえ、それ以外に、文学マニアの幸福などあろうはずがありません。