本の目利きの間では、デビュー時から話題になっていた。だが、川上未映子の名を一気に広めたのは、やはりこの作品。
「わたくし率 イン 歯ー、または世界」の初出は、『早稲田文学』0号。大手出版社の文芸誌以外から久々にノミネートされた、芥川賞候補作として注目を集めた。
そんな川上さんは、どんな作家かと言えば。
私とは何か、私はどこから来てどこへ行くのかという、考えても考えても答えはでなさそうな命題を、哲学と肉体、とりわけ女性として生まれてきたゆえの滑稽さや面倒くささを通して一生懸命考え続けて、なぜって、考え続けることだけが人間の存在意義ではないの? と言っているような人である。
ちなみに、川上未映子という作家のアクの強さ、すなわちこの人らしさでもある哲学的思考と言葉へのこだわりを、いちばん味あわせてくれるのが『わたくし率 イン 歯ー、または世界』ではないかと私は思う。
「わたくし率~」のヒロインは、脳ではなく奥歯に自分の本質(=〈私〉)があるのではないかと思考する歯科助手〈わたし〉。
〈人がどこ部で考えてるんかということが・もちろんそれが脳であってもまったくぜんぜん問題ないんですけど・脳なしで考えたことがない以上は・私はかかとでかかとで考えているのかも知れへんし・肩甲骨で考えてるのかも知れへんし・もしかしたらベタに目玉で考えてるのやも知れませんし・(略)これはすべて並列な可能性・なので私は・鏡の奥に映せば見える・この奥歯を私であると決めたのです〉
同じ歯科医院で働く見習い医師・三年子は何かにつけ〈わたし〉にいじわるをし、悪意のメッセージを書き付けた紙を渡す。〈わたし〉も負けじと反論を手紙にする。その他にも、〈わたし〉は、恋人と思しき青木への思いや、まだ見ぬ我が子へのメッセージを、切々と手紙にしたためる。
数々の手紙によって、物語は少しずつ歩を進めるのだが、基本的に一方的な語りかけで書かれる“手紙”というスタイルが曲者なのだ。
あるとき、青木は歯科医院に来て、治療をして帰って行く。長らく青木と会っていなかった〈わたし〉は、三年子の制止を振り切って、青木のアパートへ。彼女たちの関係の実態が明らかになるとき、「ええっ、そういうことだったの!?」と仰天すること必至。
浪速言葉で展開する思弁が特徴の文体は、噛むほどに魅力が増す。とりわけ、この部分。
〈わたしと私をなんでかこの体、この視点、この現在に一緒ごたに成立させておるこのわたくし! ああこの形而上が私であって形而下がわたしであるのなら、つまりここ!この形而中であることのこのわたくし!! このこれのなんやかや! あんたら人間の死亡率。うんぬんにうっわあうわあびびるまえに人間のわたくし率こそ百パーセントであるこのすごさ!〉
意識の中心である〈私〉と、肉体という容れ物の〈わたし〉、その中間に位置する〈わたくし〉。過剰な語りから伝わってくるそれらのかけがえのなさが、ド迫力で迫ってくる怒濤のラストにはうっとりしてしまう。
併録されている「感じる専門家 採用試験」は、スーパーですれ違った主婦と妊婦が、〈生む有無問題〉をめぐってラップ対決するシーンが秀逸。
どちらも、現実かと思えば妄想、空想かと思えば実況と変幻自在。油断できない剣呑な小説集なのである。
川上未映子作品については書評を多数収めていますので、ぜひお楽しみください。
『ヘヴン』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む
『乳と卵』レビュワー/三浦天紗子 書評を読む